2022年に最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得するなどリリーフ投手として一気にブレイクした阪神タイガースの湯浅京己投手の家族について取り上げます。
地元・三重県尾鷲市で精肉店を営んでいる実家及び父親と母親のことや兄弟はいるのかなど詳しく紹介します。
そのほか湯浅投手のプロフィールや野球歴、「京己(あつき)」という名前の由来についても合わせて紹介します。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
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- 湯浅京己の実家は精肉店を経営
- 実家の精肉店の名前は「ぶたふく」
- 湯浅京己の父は元野球選手(社会人までプレー)
- 湯浅京己に兄弟はなく一人っ子
- 名前の「京己」に込められた両親の思い
湯浅京己の実家と家族構成
湯浅京己投手の実家は三重県尾鷲(おわせ)市にあります。
尾鷲市は三重県の南部に位置しています。面積の90%は山林で黒潮の流れる熊野灘に面しており古くから林業と漁業で栄えてきました。
また同市は日本国内で見ても非常に雨の多いのが特徴です。
黒潮の流れる熊野灘に面し、背後を山に囲まれていることから、南からの暖かく湿った空気が流れ込みやすい春から秋にかけて、雨雲が発達しやすく、日本国内で見ても非常に雨が多い。
引用元:wikipedia
なお後ほど詳しく紹介しますが湯浅投手の実家は地元で精肉店を営んでいます。
ここからは湯浅投手の家族について紹介していきます。
まずは家族構成ですが父親の栄一さん、母親の衣子さん、そして京己投手の3人家族です。
過去に衣子さんが何かのインタビューで、
と話したことがあったようですので湯浅投手に兄弟はいないとみてよさそうです。

画像出典:日刊スポーツ
母親・・・衣子さん
★長男・・・京己投手
両親が営んでいる精肉店「ぶたふく」について
湯浅投手の実家のご両親は地元の三重県尾鷲市で精肉店兼惣菜店を経営しています。
お店の名前は「ぶたふく」といいます。

画像出典:食べログ
「ぶたふく」は店内で料理を注文して食べることも出来るお店で地元の人から愛されています。
ぶたふく pic.twitter.com/xSuD7GcKYZ
— まっきー (@2wkXmk) June 16, 2022
ぶたふく! pic.twitter.com/inVijF37bp
— カニ (@nina_cu27) January 18, 2014
湯浅投手ももちろん幼少期から「ぶたふく」のお肉及び料理を食べて育ってきました。
ちなみに湯浅投手の好きなメニューは、
- 味噌カツどん
- 肉巻きおにぎり
とのことです。
湯浅投手の高校は福島県の聖光学院で地元を離れていたのですが、しっかりと身体作りもしたいという思いから2週間に1度は実家からサーロインなどのお肉を送ってもらっていたそうです。
父・栄一さんは社会人までプレーした元野球選手
湯浅投手の父親である栄一さんの年齢は51歳(2023年3月時点)で生まれは1972年頃だと思われます。
お仕事は実家で精肉店兼惣菜店の「ぶたふく」を営んでいることは前述しましたが、栄一さんも元野球選手で社会人までプレーした経験があります。
以下は栄一さんの野球歴です。
- 三重高校
- 法政大学
- 昭和コンクリート
なお栄一さんのポジションは捕手だったそうです。
栄一さんは野球経験者だったことから湯浅投手が小さかった頃から練習に付き合っていたそうです。
余談ですが栄一さんをはじめ祖父母に至るまで湯浅家は巨人ファンだったそうですが、京己投手がドラフトで阪神に入団したのを境に家から巨人グッズを封印し湯浅家は虎一色になったそうです。
ドラフト指名を受けた瞬間から、湯浅家は虎一色になった。三重・尾鷲市で精肉店「ぶたふく」を経営する父栄一さん(47)は、「ドラフトにかかった瞬間から阪神ファン」とキッパリ。今では毎日、仕事中にも「六甲おろし」を口ずさむほどだ。両親だけではない。なんと長年ライバル巨人のファンだった祖父母も一大決心。家から巨人グッズを封印したという。
引用元:日刊スポーツ
今では栄一さんは毎日仕事中にも六甲おろしを口ずさむほどの阪神ファンなっているとのことです。
母・衣子さんは息子の為に毎日ステーキ弁当を作った
湯浅投手の母親である衣子さんの年齢は51歳(2023年3月時点)とありましたので夫の栄一さんとは同い年もしくは同学年のようです。
お仕事は夫の栄一さんと一緒に実家の精肉店兼惣菜店「ぶたふく」を切り盛りしています。
湯浅投手は現在では身長183㎝と立派な体格をしていますが、子供の頃はなかなか背が伸びず悩んでいたそうです。
そんな時に衣子さんは、
と励ましたそうです。
湯浅投手が中学生の時は実家がお肉屋だったこともありますが、衣子さんは毎日お弁当に体が大きくなるようにとステーキを入れてくれていたそうです。
183センチという長身だが、「この体を作ったのが湯浅投手のお母さん」「体を大きくしたいと、中学時代にお弁当に毎日毎日、ステーキを入れていた。なんで毎日そんな豪華なステーキを入れられるかというと、湯浅投手の実家がお肉屋さんなんです」というエピソードを紹介。
引用元:デイリー
また湯浅投手が阪神に入団して間もなく腰の成長痛により歩くのもままならない状況になった時、衣子さんは寮へ果物や大好きだという抹茶のスイーツを差し入れするなどして元気づけたそうです。
湯浅投手がプロ野球選手にまで昇り詰めプロの世界で大活躍しているのはこれまでの衣子さんの食事面やメンタル面などの献身的なサポートが大きかったのは間違いないでしょう。
もちろん湯浅投手も衣子さんへの感謝を日頃から忘れておらず毎年母の誕生日などにメッセージを送っています。
「よく感謝を伝えてくれる子で、私の誕生日には必ずメッセージをくれますし、自分の誕生日にも“生んでくれてありがとう”と連絡をくれるので、私は毎年のように隠れてうれし涙しています」
引用元:スポニチ
湯浅「京己(あつき)」の名前の由来
さて湯浅投手の「京己(あつき)」という名前はかなり珍しいかと思います。
名前の由来ですが、
という思いを込めて両親が名付けたそうです。
余談ですが湯浅投手の座右の銘は「雲外蒼天(うんがいそうてん)」です。
言葉の意味は「どんな試練であっても努力して乗り越えれば青空が望める」だそうです。
なんとなく「京己」の由来にも似ていますね。
湯浅京己のプロフィールや野球歴
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ニックネーム:あっくん
年齢:23歳
生年月日:1999年7月17日
出身:三重県尾鷲市
身長/体重:183cm/82kg
高校:光学院高校
独立リーグ:富山GRNサンダーバーズ
ポジション:投手
投打:右投右打
プロ入り:2018年(ドラフト6位)
背番号:65
所属チーム:阪神タイガース
湯浅京己投手は尾鷲(おわせ)小学校4年生の時に「尾鷲野球少年団」で野球を始めました。
尾鷲中学校時代は「伊勢志摩ボーイズ」に所属し主に内野手としてプレーしました。
高校は福島県の強豪、聖光学院高校に進学しますが当初は成長痛による腰痛を発症したために完治するまで記録員(マネージャー)としてチームに貢献しました。
腰痛が収まった2年生の秋に投手として復帰すると3年生の春の県大会で公式戦デビューします。
同大会での決勝では先発も務めました。
3年生の夏の県大会では背番号18を付け1試合に救援で登板しましたが、続く夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)ではベンチ入りメンバーに選ばれませんでした。
高校卒業後は大学進学も勧められた中で独立リーグからプロを目指すことにします。
入団した独立リーグの富山GRNサンダーバーズでは1年目の5月から先発ローテーションの1角を担い15試合の登板(74回)で3勝7敗、防御率5.72という成績を残しました。
同年(2018年)のプロ野球ドラフト会議において阪神タイガースから6位指名を受けて契約金2000万円、年俸500万円という条件で入団しました。
指名順位:6位(阪神)
契約金:2000万円
年俸:500万円
プロ1年目となる2019年は慎重に育てるという首脳陣の方針により1軍登板は無く年間通して2軍での生活に終始しました。
1軍初出場は3年目となる2021年6月3日のオリックス・バファローズ戦(甲子園球場)で9回表に救援での登板でした。
この年、その後も1軍で数試合登板しましたが結果を残せずシーズン防御率18.00というものでした。
2022年は春季キャンプからアピールに成功し開幕を1軍で迎えると4月6日の横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園球場)でプロ初ホールドを記録します。
この年は途中で疲労回復の為一時登録を抹消されますが、シーズン通して59試合に登板し45ホールドポイントを挙げ防御率は1.09と大活躍し最優秀中継ぎ投手のタイトルを初めて獲得しました。
また同年のオールスターにはファン投票のセ・リーグ中継ぎ投手部門トップで選出され初めて出場しました。
プロでの主な獲得タイトルと受賞歴です。