パワフルなスイングに豪快なホームランが魅力の千葉ロッテマリーンズの若きスラッガー、山口航輝選手の家族について取り上げます。
両親はどんな方なのか、兄弟はいるのかなど紹介します。
また山口選手のプロフィールと野球歴のほか、俳句が得意なことや吉田輝星投手が高校時代のライバルだったことも紹介します。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
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- 山口航輝の両親の顏や名前
- 山口航輝は一人っ子
- 山口航輝は俳句の名人
- 山口航輝は高校時代に吉田輝星とライバルだった
山口航輝の実家と家族
山口航輝選手の実家は大阪府大阪市平野区にあります。
平野区は2023年現在、大阪市の24行政区の中で一番人口が多い区となっています。
ここからは山口選手の家族について紹介していきます。
まずは家族構成ですが山口投手は兄弟はなく一人っ子ですので父親の義和さん、母親の恵美子さん、そして航輝選手の3人家族です。
母親・・・恵美子さん
長男・・・航輝選手
こちらはドラフト会議当日、指名後の家族3人の写真です。

画像出典:サンスポ
父・義和さんが野球を始めたきっかけ
山口選手が野球を本格的に始めたのは「平野エンゼルス」という軟式の少年野球チームに入った小学1年生の時ですが、最初のきっかけは3歳の時にした父・義和さんとのキャッチボールでした。
野球を始めたきっかけは、3歳くらいのときに、父親とキャッチボールをしたことが始まり。
引用元:BALLPARK AKITA
山口選手は高校は地元の大阪を離れ秋田県の明桜高校にいわゆる野球留学することを決めたのですが、義和さんはその決断をするにあたり背中を押してくれたそうです。
母・恵美子さんは野球留学に反対だった
山口選手は子供の頃、母・恵美子さんに練習に付き合って貰っていたそうです。
子どもの頃遊び感覚でやっていたことを教えてくれました。
それは、バドミントンの羽根を細い木の棒で打つ練習です。毎日母親に外でバドミントンの羽根を投げてもらっていたそうです。引用元:朝日新聞デジタル
山口選手は当時、恵美子さんに「どこ投げてんねん」と文句を言ったりしていたそうですが大人になった現在はコントロールが難しい羽根を投げ続けてくれた母親にとても感謝しているそうです。
山口選手と母・恵美子さんのエピソードをもう1つ紹介します。
前述しましたが山口選手が高校を地元から離れた秋田県の明桜高校に決めた際に父・義和さんは背中を押してくれたそうですが、母・恵美子さんはなかなか賛成してくれなかったようです。
父親は秋田で野球をするという決断にあたり、背中を押してくれた。しかし母親は、自分が一人っ子ということもあり、秋田へ来ることに、なかなか賛成してくれず「ほかに道はないのか」と離れたくない様子だった。でも最後は、「自分が選んだ道だから」と応援してくれた。
引用元:BALLPARK AKITA
山口選手が一人っ子ということもあり息子が遠くに行ってしまうのが寂しかったようですね。
山口航輝のプロフィールと野球歴
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ニックネーム:ぐっさん、ぐっち
年齢:22歳
生年月日:2000年8月18日
出身:大阪府大阪市平野区
身長/体重:183cm/97kg
高校:明桜高校
ポジション:外野手、一塁手
投打:右投右打
プロ入り:2018年(ドラフト4位)
背番号:51
所属チーム:千葉ロッテマリーンズ
山口航輝選手は加美北(かみきた)小学校1年生の時に「平野エンゼルス」で野球を始めました。
加美中学時代は硬式野球チームの「ナガセボーイズ」でプレーしました。
高校時代は吉田輝星がライバル

画像出典:日刊スポーツ
高校は地元の大阪を離れ秋田県の明桜(めいおう)高校に進学します。
1年生の夏から控えとしてベンチ入りします。
2年生から4番・投手に定着すると同年夏の秋田県大会で投打に渡り活躍し同校の甲子園出場に貢献しました。
しかし県大会決勝の金足農業高校戦で一塁牽制で帰塁した際に右肩を亜脱臼した影響で甲子園の舞台では登板することが出来ずチームも初戦敗退しました。
甲子園出場はこの時の1回限りで3年時の夏は前年の県大会決勝で勝利した金足農業高校と再び決勝で当たりますが今度は敗れてしまいました。
現在北海道日本ハムファイターズに所属する金足農業高校出身の吉田輝星とは同学年で2年連続夏の決勝の舞台で投げ合うなどライバル関係でした。
#山口航輝 #吉田輝星
ライバル物語が終わった。いや、始まりかもしれない。数年後、甲子園で対決していたら、これほど最高な事はない。#明桜 #金足農 #秋田大会 pic.twitter.com/hDjHlGeax0— 増村一成(スポーツ報知) (@kazunari36136) July 24, 2018
高校時代の通算本塁打は25本で投手としての最速は146キロでした。
2018年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議において千葉ロッテマリーンズから4位指名を受け、契約金4000万円、年俸560万円という条件で入団となりました。
ロッテからは外野手(打者)での指名でしたが、山口選手自身は将来的に投手としても復帰し、二刀流への挑戦も視野に入れていると語っていました。
指名順位:4位(ロッテ)
契約金:4000万円
年俸:560万円
プロ入り後
プロ初出場はプロ入りから3年目となる2021年シーズンの同年3月26日に行われた福岡ソフトバンクホークスとの開幕戦でした(5番・指名打者でスタメン)。
同試合の6回表にレフトへヒットを打ちプロ初安打も記録しました。
同年4月9日には右翼席にプロ第1号となる本塁打を放ちました。
最終的にこの年は打率.207でしたが9本塁打を記録しました。
4年目となる2022年は前半戦はコンディションの影響でレギュラー定着とまでは行きませんでしたが、後半からチームの主力となり9月22日のオリックス・バファローズとの試合では3本塁打を放つなど活躍。
最終的に打率も本塁打数も前年を上回る打率.237、16本塁打を記録しました。
山口航輝は俳句が得意で受賞経験もあり
山口航輝選手は“俳句”というキーワードと一緒によく検索されているようですが、実は山口選手は特技が俳句です。
俳句は子供の頃から得意だったようで13歳の時に
という俳句で「伊藤園お~いお茶新俳句大賞」の佳作特別賞を受賞しています。
以下は山口選手が詠んだ主な俳句です。
- ホームラン たくさん打つぞ 今年こそ(2021年キャンプイン前日)
- 3月は 桜も咲くぞ 僕も咲く(静岡でオープン戦1号)
- まだ寒い 北の大地で 僕熱い(札幌でオープン戦2号)
- 開幕だ 玄界灘で 大暴れ(ソフトバンクとの開幕戦直前)
- 春の夜 夢にまで見た 初アーチ(4月9日、プロ1号)
- 時の人 ぺこぱに力 もらったよ(4月20日、お笑いコンビぺこぱが始球式を務めた試合で初のお立ち台)
- 秋の夢 心はひとつ 日本一(11月、CSファイナル進出を決め一句)
喜びも 気持ちはすでに 来年へ(12月、契約更改で詠み納め) - 新年に 刻む想いは 30発(2022年1月3日)
- こいのぼり 僕も登るぞ 頂点へ(4月30日)
- 梅雨入りも 僕の打撃は 日本晴れ(6月7日)
- ロックの日 バットが奏でる ホームラン(6月9日)
- 短冊に 込める願いは 頂点へ(7月6日)
山口選手はすっかり俳句キャラがファンの間でも浸透しており球団は山口選手の俳句グッズを商品展開したりしています。
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