甲子園に春夏合わせて8度出場している西東京の強豪、東海大菅生高校の若林弘泰監督(56)が部員への体罰が理由で謹慎していることが分かり話題となっています。
そこでこの記事では若林弘泰監督の経歴と指導方法や教育論について取り上げたいと思います。
若林監督が元中日ドラゴンズのプロ野球選手だったことや当時監督をしていた星野仙一さんをリスペクトし、指導方法などで大きな影響を受けていたことについて紹介していきます。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
- 若林弘泰の野球歴
- 若林弘泰のドラフト順位とプロでの成績
- 若林弘泰は「叱って伸ばす」という本を出している
- 若林弘泰は闘将・星野仙一に心酔している
東海大菅生の監督が部員への体罰で謹慎
近年、東京を代表する強豪校に成長した東海大菅生高校で監督による部員への体罰(暴力)が発覚しました。
週刊文春によると東海大菅生高校で監督を務める若林弘泰氏が昨年、2022年8月頃から1年生部員のA君に対して日常的にバットで殴ったり蹴りを入れたりするなど暴力を振るっていたそうです。
A君は若林監督から暴力を受けたことにより適応障害となってしまったようです。
「監督による息子への暴力行為があったのは事実です。Aは昨年10月に病院を受診し、監督による暴力行為に基づく適応障害との診断を受けました」
引用元:文春オンライン
そしてA君は野球部を辞め、昨年末に学校も退学したのだといいます。
暴力を受けていたのはA君だけではなかったようで年明けに他の1年生部員も1人辞めたそうです。
そしてA君は部活を辞めただけでなく、年末には学校も退学した。年明けには1年生部員も1人辞めたという。
引用元:文春オンライン
若林監督は今回の件で週刊文春から取材を受け以下のように答えています。
――A君への暴力行為は。
「A君が辞めた原因はそれだけではありませんが、高野連には報告させて頂いた」
――ノックバットで殴ったり、蹴りを入れたりしたか。
「言いたいことは山ほどありますが、今、謹慎していますので」
引用元:文春オンライン
何か含みがある言い方ですね。どんな理由があっても暴力を正当化することは出来ませんが若松監督の言い分は気になります。
なおA君の父親は警察に被害相談をしたそうで、今後警察による事情聴取が行われるようです。
東海大菅生高校について
東海大菅生高校は日大三高校や早稲田実業高校といった甲子園優勝経験のある名門校と同じ西東京に属しています。
〒197-0801 東京都あきる野市菅生1817
東海大菅生はこれまで甲子園に春夏合わせて8回出場しています(春4回、夏4回)。
甲子園の最高成績は1997年の夏の甲子園(選手権大会)でのベスト4です。
東海大菅生出身のプロ野球選手には2018年のドラフトで読売ジャイアンツから1位指名された髙橋優貴投手や2022年のドラフトで中日ドラゴンズから6位指名された田中幹也選手などがいます。
東海大菅生出身のプロ野球選手一覧
- 中野渡進(元プロ野球選手)
- 笹川隆(元プロ野球選手)
- 金森敬之(元プロ野球選手)
- 鈴木昂平(元プロ野球選手)
- 南要輔(元プロ野球選手)
- 髙橋優貴(プロ野球選手)
- 勝俣翔貴(プロ野球選手)
- 田中幹也(プロ野球選手)
- 戸田懐生(プロ野球選手)*中退
若林弘泰の経歴

画像出典:スポーツ報知
- 名前:若林 弘泰(わかばやし ひろやす)
- 年齢:57歳
- 生年月日:1966年4月22日
- 出身:神奈川県茅ヶ崎市
- 身長/体重:185cm/80kg
- 高校:東海大相模高校
- 大学:東海大学
- 職業:高校教諭(東海大菅生野球部監督)
若林弘泰監督は幼い頃に神奈川県の茅ケ崎市から横浜市南区に引っ越します。
横浜市立永田台小学校3年生の時に「永田オックス」というチームで野球を始めました。
投手や捕手として活躍し、区大会で準優勝するなど好成績を残すこともあったといいます。
横浜市立永田中学校を卒業すると東海大相模高校に進学します。
若林監督は東海大相模高校で中心選手として活躍する原辰徳さんに憧れて同校を選んだそうです。
高校時代、エースとして活躍しましたが甲子園に出場することは出来ませんでした。
高校卒業後、そのまま東海大学に進み野球を続けます。1年秋からベンチ入りを果たし、1986年大学2年の春季リーグで防御率0.00を記録し最優秀投手を獲得しました。
しかしその後、肘の手術をすることになり大学3年の時は活躍できませんでした。
大学の通算成績は30試合に登板して14勝4敗、防御率1.78でした。
大学卒業後は社会人野球チームの日立製作所でプレーします。1年目に肩を故障しますが3年目にエースとして活躍し都市対抗でチームをベスト8に導きました。
中日ドラゴンズにドラフト4位で指名される
若林監督は1991年のドラフト会議において中日ドラゴンズから4位指名を受けました。
プロ入り後も大学時代に肘の手術を受けた影響による右肩痛に悩まされ続け、1997年に活躍できないまま引退します。
6年の在籍期間で1軍での登板は17試合(全て1995年の中継ぎ登板)にとどまり、通算成績は1勝1敗、通算防御率は8.85という結果に終わりました。
東海大菅生高校の教員、そして野球部監督に!
プロ野球引退後、中日時代に監督を務めていた星野仙一さんの助言を受けて運送会社の佐川急便に5年間勤務します。
その後、地元の先輩が岐阜県で高校野球の監督をしていることを知り、自身も以前から思っていたという指導者への道を考えるようになります。
37歳の時に名城大学で2年間在学して教員免許を取得します。
2007年に自身の母校である東海大相模高校の系列校である東海大菅生高校に社会科教諭として着任すると2009年4月に同校の野球部監督に就任しました。
若林弘泰の指導方法と教育論
昨今はSNSなどもあり世間の目が厳しいので体罰はだいぶ減っているようですが、昭和の時代は程度にもよりますが体罰による指導は当たり前だったといいます。
若林弘泰監督は令和の時代にありながら“昭和スタイル”の指導をつらぬいていたようです。
若林監督は2021年に本を出しているのですがそのタイトルが、
です。
下記は著書「叱って伸ばす」の紹介文です。
「褒めて伸ばす」が平成・令和の指導法だとすれば、私のような「褒めない」
「叱る」が主軸の指導法は「昭和スタイル」だといっていいだろう。
ただ、現代の「褒めて伸ばす」という教育は当初の理念からは離れ、「何でもかんでも褒めればいい」という安直な方向に向かっているような気がしてならない。何でもかんでも叱りつけるようなやり方はもちろんNGだが、何でもかんでも褒めるようなやり方も、選手の成長を阻害するものでしかないと私は思う。
本書では、私がなぜ今の指導法に辿り着いたのか、そして今、どのような指導をしているのかを具体的に記していきたいと思う――本文より
著書「叱って伸ばす」の第3章には若林監督の“昭和スタイル”の指導について詳しく書かれているようです。
下記は目次に書かれている第3章の部分です。
第3章 叱って伸ばす~なぜ今、「昭和スタイル」の指導法なのか?~
「叱って伸ばす」の真意~人は「発憤」することで成長する~/粘り強い選手を育むには?/薄っぺらい正義感は不要~選手にとっていい人になる必要はない~/夏の大会の前に練習のピークを作る~気持ちは技術を上回る~ ほか
今の時代に正面切って「叱って伸ばす」という教育論を掲げるのはすごいですね。おそらく批判も覚悟の上だったのでしょう。
ただこの本の紹介文や目次を見た限りでは体罰については触れていないようでした。
闘将・星野仙一をリスペクト
若林監督が中日ドラゴンズの元プロ野球選手であることを前述しました。
どうやら若林監督は当時中日ドラゴンズの指揮官だった故・星野仙一さんをリスペクトしているようです。
下記は著書「叱って伸ばす」の目次に書かれている第2章の部分です。
第2章 恩師に恵まれた私の野球人生~原貢監督、星野仙一監督ほか歴代監督の教え~
東海大相模入学~名将・原貢監督との思い出~/「大学でも野球をやっていいぞ」~父親からの生涯唯一のやさしいひと言~/プロ入り4年目で悲願の初勝利!/高校野球の監督になろうと思ったきっかけ/星野仙一監督は何がすごいのか ほか
若林監督は指導者としての星野さんに心酔していたようですね。
星野さんといえば中日ドラゴンズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスを監督として優勝させている名将です。
気性が荒く、怒りなどの感情を全面に出すので“闘将”とか“燃える男”といったニックネームが付いていました。
星野さんは名将には違いありませんが、自分のチームの選手たちにも容赦がなく、失敗したり気に入らないところがあると怒鳴ったり殴りつけたりしていたそうです。
特に若い頃の中日ドラゴンズ監督時代が酷かったといいます。
中日ドラゴンズのレジェンドOBである山本昌さんや中日ドラゴンズや横浜ベイスターズ などで捕手と活躍した中村武志さんがyoutube等で星野さんに殴られたことについて実際に証言しています。
今の時代だったら間違いなくパワハラで炎上するので星野さんはすぐに監督を解任させられそうです。
そんな星野さんをリスペクトしているわけですから若林監督が日常的に部員に対して体罰を行っていても不思議ではありません。
若林弘泰監督の処分結果と菅生の選抜出場の有無
若林弘泰監督は今回の部員への体罰問題で昨年12月5日から自主的に謹慎し、指導を取りやめていました。
そして今年1月20日に日本学生野球協会による臨時の審査室会議が開かれ、若林監督に対して体罰と東京都高野連への報告を怠ったとして昨年12月5日から今年4月4日までの4カ月間の謹慎処分が科されました。
なお野球部部長(33)に対しても報告が遅れたとして同12月5日から今年1月4日まで謹慎1カ月の処分が科されました。
東海大菅生高校は昨年の秋季東京都大会で優勝しており今年の春の甲子園(選抜大会)への出場が確実視されていました。
今回の若林監督の不祥事で選抜大会への出場がどうなるか注目されていましたが、どうやら生徒たち(部員たち)に責任は無いということで出場に支障は無いようです。
センバツ運営委員会が20日に開かれ、監督による体罰問題が明らかになった東海大菅生(東京)について、変わらずセンバツ推薦校として扱うことを確認した。これで選出された場合も甲子園出場に支障はなくなった。
引用元:日刊スポーツ
ただ選抜への出場が決まった場合、若林監督は指揮を執れないので代理を立てる必要があるそうです。
選考に関する規定(内規)により、新チーム結成後からセンバツ大会までに日本学生野球協会審査室で有期の謹慎処分を受けた野球部指導者は責任教師、監督として登録することはできないとした。出場が決まった場合は代理を立てる必要がある。
引用元:中日スポーツ
世間の反応を見ると今回の若林監督に対する4か月間の謹慎処分という裁定は甘いと考えている人が多いようでした。
日本学生野球協会の判断では4カ月間の謹慎となりましたが、この先学校側が世間からの批判を鑑みて若林監督を解雇したり、若林監督自身が責任を強く感じていた場合に辞任する可能性もあります。
ただ東海大菅生は若林監督が2009年に就任してから明らかに強くなったので学校側の本音とすれば辞めさせたくはないはずです。
世間の声を尊重するのか野球部の強さ維持を選ぶのか、今後の学校側の動きに注目です。