日本球界きってのスピードスターで2023年の第5回WBCでも足で日本の優勝に貢献した福岡ソフトバンクホークス所属、周東佑京選手の家族について取り上げます。
周東選手のトラック運転手をしているというお父さん、巨人ファンだというお母さん、そして姉や2人の妹について分かっていることを紹介します。
そのほか周東選手の俊足の秘密、プロフィールや野球歴なども合わせて紹介します。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
⇒周東佑京の結婚した嫁は6歳上の一般人!子供は息子が1人、名前や年齢は?
- 周東佑京の父はトラックの運転手
- 周東佑京の母は巨人のファン
- 周東佑京の兄弟は姉1人と妹2人
- 周東佑京が俊足になった理由
周東佑京の実家と家族構成
周東佑京選手の実家は群馬県新田郡藪塚(やぶづか)本町(現:太田市)にあります。
藪塚本町は群馬県の南東部に位置しています。
古くは桐生の織物を支える養蚕(ようさん)の村々として栄えましたが2005年3月27日に閉町し、旧太田市・新田郡尾島町・新田郡新田町との合併によって太田市となりました。
ここからは周東選手の家族について紹介していきます。
まず家族構成ですが父親の孝宜さん、母親の園美さん、お姉さん、2人の妹さん、そして佑京選手の6人家族です。
母親・・・園美さん
長女(姉)・・・名前不明
★長男・・・佑京選手
次女(妹)・・・名前不明
三女(妹)・・・美来さん
父・孝宜さんはトラック運転手で野球経験者
周東選手のお父さんの名前は孝宜さんといいます。
年齢は詳しく分からなかったのですが1966年頃の生まれのようです。
お仕事はトラック運転手の運送業をされているそうです。
孝宜さんは野球が大好きな方で息子の周東選手に興味を持たせたいという思いもあり、夕食時はいつも野球中継を見ていたといいます。
また孝宜さん自身も野球をしていた野球経験者です。
ポジションは投手だったそうなのですが中学の時に投げ過ぎによる肘の故障が原因で引退されたとのことです。
それもあって孝宜さんは周東選手に小学校2年で野球を始めた頃から「投げるな、体を守れ」と度々忠告していたようです。
「とにかく小さい頃は体を酷使しないように、本人には『投げるな』『体を守れ』と口酸っぱく言い聞かせました」。
引用元:東スポWEB
なんでも周東選手は練習したがりでそんな息子を止めるのに孝宜さんは苦労したそうです。
話は変わりますが周東選手はインタビューで自身の俊足について「遺伝だと思います」と答えており、なんでも父親の孝宜さんも俊足だったそうです。
また俊足が遺伝だということを裏付けるように孝宜さんの従兄弟の岩崎利彦(いわさき・としひこ)さんは陸上110メートルハードル元日本記録保持者で、1992年バルセロナ五輪に日本代表として出場しました。
平成28年4月より、元バルセロナ五輪代表 岩崎利彦教授をお迎えし、陸上競技部が始動いたしました。また29年度入試より、陸上競技の分野で特に優れた者を支援するため『スポーツAO入試』を新設し、『スポーツ特待生制度』も導入いたします。 pic.twitter.com/EjMROjZ09X
— 川村学園女子大学@公式 (@kgwupr) April 21, 2016
母・園美さんは巨人ファンの野球好き
周東選手のお母さんの名前は園美さんといいます。
年齢については詳しく分からなかったのですが夫の孝宜さんよりどうやら1~2歳上のようです。
園美さんも孝宜さんと同様に野球が大好きだそうです。
ちなみに巨人ファンで篠塚和典(しのづか・かずのり)さんのファンだったそうです。
両親が大好きだった野球のプロ選手になるだけでなく活躍し、日本代表としてもプレーするなんて周東選手は孝行息子の鑑ですね。
姉と2人の妹について分かっている事
周東選手は4人兄弟なのですが周東選手以外は全員女で姉が1人に妹が2人です。
下の妹の名前だけ分かっており、未来さんというそうです。
末っ子の未来さんは周東選手の野球に毎週付き添っていてグランドの隅が遊び場になっていたといいます。
なんとなく周東選手から中性的な雰囲気を感じていましたが女性に囲まれて育ってきたからなのかもしれませんね。
妹たちとは今でもよく電話をするほど仲が良いようです。
男女の差もあるのかもしれませんが幼い頃、周東選手は兄弟の中でも一番足が速かったそうです。
周東佑京は中国人?名前の由来を紹介!
周東佑京選手の「周東佑京(しゅうとううきょう)」という名前を見て『中国人?』『日本人なの?”』と疑問に思った人も割といると思います。
周東初めて見たけど足はやっ!
周東佑京って中国人かと思ったわ😳— 〓V.I.P〓(おおともりょう) (@vip_japanA) October 19, 2019
周東佑京の日本人じゃない感
— おわふぃーぬこ (@owaphine) October 26, 2017
ですが周東選手のご両親はどちらも日本の方で周東選手はハーフでもなく純粋な日本人です。
また調べてみたところ周東という名字は現在の千葉県内にあった上総国周准郡周東荘に起源があるそうです。
現千葉県である上総国周准郡周東荘が起源(ルーツ)である、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)上総氏流、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)。現千葉県北部である下総にもみられる。「東」は方角を表す。
引用:Yahoo!知恵袋
ただ現在は起源である千葉県よりも周東選手の出身地である群馬県の方が周東さんの人数は多いようです。

画像出典:名字由来net
次に周東選手の「佑京(うきょう)」という名前の由来についてですが1990年代にF1レーサーとして活躍した片山右京さんから取られたそうです。

画像出典:Facebook
ただ名字との相性の問題で「右」という漢字だと字画が足りず「右」にんべんを付けた「佑」を採用したそうです。
周東佑京の俊足は野ウサギとの追いかけっこのおかげ?
周東佑京選手には「二盗・三盗・周東です」というキャッチコピーがあるように盗塁(走塁)が大きな武器です。
周東選手は走塁の技術ももちろん高度ですが、単純に足がめちゃくちゃ速いです。
データを少し紹介しますと50mのタイムが5.7秒で一塁到達タイムは3秒69とのことです。
- 50m・・・5.7秒
- 一塁到達タイム・・・3秒69
一塁到達タイムは左打者の場合、4秒を切れば俊足とされていますので周東選手の脚力がどれだけすごいか分かります。
周東選手は自分の足の速さについて
と語ったことがあります。
羨ましい気もしますが、捕まらな過ぎてつまらないかもしれませんねw
周東選手が足が速くなった要因について過去にスポーツ紙が
という逸話を紹介したことがあります。
周東選手の故郷である群馬県は関東の中でも自然豊かな県ですからありそうな気もしますが本人がこの逸話に関して後の取材で否定しています。
スポーツ紙で「近所の山で野ウサギを追いかけて捕まえていた」との逸話も紹介されたことがある。あまりに面白いエピソードなので本人に振ってみると「いや、それはない(笑)。たしかにめちゃくちゃ田舎で野ウサギがいるような場所だったけど」と笑い飛ばされた。
引用元:NumberWeb
少し前の方で触れましたが周東選手の俊足はやはり遺伝に依るところが大きいようですね。
周東佑京のプロフィールや野球歴
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年齢:27歳
生年月日:1996年2月10日
出身:群馬県太田市
身長/体重:180cm/70kg
高校:東京農業大学第二高校
大学:東京農業大学(物産業学部)
ポジション:二塁手、三塁手、遊撃手、外野手
投打:右投左打
プロ入り:2017年(育成ドラフト2位)
背番号:23
所属チーム:福岡ソフトバンクホークス
周東佑京選手は藪塚本町(やぶづかほんまち)小学校2年生の時に「藪塚リトルファイターズ」で野球を始めました。
藪塚本町中学校時代は硬式野球チームの「太田ボーイズ」でプレーしました。
高校は群馬県内の東京農業大学第二高校に進学します。
高校3年生時には主将となり最後の夏の県大会では2番遊撃手で出場し、大会通じて17打数7安打で打率.412・盗塁5を記録しチームを引っ張りました。
同大会でチームは決勝まで勝ち進むも、その年の夏の甲子園で優勝を達成した現在埼玉西武ライオンズに所属する高橋光成投手擁する前橋育英高校に敗れました。
なお周東選手は高校の3年間通じて甲子園出場はありませんでした。
高校卒業後は北海道六大学リーグに所属する東京農業大学に進学すると1年生からレギュラーを掴みます。
大学の4年間で3年春にベストナイン(三塁手)、3年秋に優秀選手賞、4年春に最高殊勲選手・ベストナイン(遊撃手)を獲得しました。
また全日本大学野球選手権大会に3度、明治神宮野球大会に1度出場し全国大会通算で7試合に出場し打率.364という好成績を残しました。
なお周東選手の代名詞でもある盗塁は大学通算で40を記録しました。
2017年10月26日に行われたドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから育成2位指名を受けて、支度金300万円、年俸400万円という条件で入団が決まりました。
指名順位:育成2位(ソフトバンク)
支度金:300万円
年俸:400万円
プロ2年目の2019年、シーズン開幕前の3月26日に支配下登録されます。
この年シーズン通算チームトップの25盗塁を記録。盗塁成功率は83.3%(企図数30)に達しこれは同年のパ・リーグで盗塁企図数20以上を記録した選手の中で最高の成功率でした。
2020年はシーズン通算50盗塁を記録し初めて盗塁王を獲得します。
これにより周東選手は育成ドラフトで入団した選手で初めて打撃部門のタイトルを獲得した選手となりました。
2023年3月に開催された第5回WBCでは日本代表に選出され、準決勝のメキシコ戦ではサヨナラ勝ちを決める得点のホームを踏むなど自慢の足で日本の優勝に貢献しました。
プロでの主な獲得タイトルと受賞歴です。