佐々木朗希の家族!父は葬儀屋で母は保険の営業マン?兄と弟も大船渡高校野球部!

佐々木朗希千葉ロッテマリーンズ
画像出典:毎日新聞
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千葉ロッテマリーンズの若きエースである令和の怪物こと佐々木朗希投手の家族について取り上げます。

東日本大震災で亡くなった父親が生前に葬儀屋のお仕事をされていたことや母親が保険の営業マンをしながら女手一つで男の子3人を育てたことなど紹介します。

また佐々木投手の“ 朗希(ろうき)”というのは兄が名付け親だったことや弟が2人の兄の背中を追って大船渡高校で野球をしていることなど紹介します。

そのほか佐々木投手のプロフィールや野球歴も合わせて紹介します。

⇒佐々木朗希と熱愛の噂がある4人の女性と学生時代の彼女について!
⇒佐々木朗希のメジャー移籍は最短だといつ?

この記事で分かること
  • 佐々木朗希は震災で父を亡くしている
  • 佐々木朗希の家族構成
  • 佐々木朗希は母子家庭で育った
  • 佐々木朗希には兄と弟が1人ずついる
  • 佐々木朗希の名前の由来はガオレンジャー
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佐々木朗希のプロフィールと野球歴

 

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名前:佐々木 朗希(ささき ろうき)
愛称:令和の怪物
年齢:21歳
生年月日:2001年11月3日
出身:岩手県陸前高田市出身
身長/体重:192cm/92kg
高校:大船渡高校
ポジション:投手
投打:右投右打
プロ入り:2019年(ドラフト1位)
背番号:17
所属チーム:千葉ロッテマリーンズ

佐々木朗希投手は陸前高田市立高田小学校3年生の時に地元の「高田野球スポーツ少年団」で野球を始めました。

4年生に進級する直前の2011年3月に発生した東日本大震災で実家が被災した影響で母親の親戚のいる大船渡市に転居します。

大船渡市立猪川小学校に転校となり、野球チームも「猪川野球クラブ」に入り直しました。

6年生だった2013年12月7日、千葉ロッテマリーンズの本拠地であるQVCマリンフィールドで開催された岩手三陸沿岸の少年野球チームによる大会「リアスリーグ」の決勝戦に出場しました。

大船渡市立第一中学校時代は学校の軟式野球部に所属。投打で実力を発揮して2年生秋の新人戦からエースナンバーを背負いました。

3年生になる直前に疲労骨折が判明し、半年ほどリハビリに充てることになります。

故障が癒えた秋に参加したオール気仙(KWBボールの選抜チーム)で東北大会準優勝を達成しました。

なお球速ですが中学3年時に141キロを計測しました。

高校は県内外の強豪校から誘いがあったものの地元で甲子園を目指したいという思いから県立大船渡高校に進学します。

1年生の夏に県大会で公式戦デビューします。チームは3回戦で敗退し佐々木投手の登板は2回戦での3番手での登板のみでしたがこの大会で球速147キロを記録しました。

2年生の夏の県大会では初戦で球速154キロを記録しますが、チームは外野手で出場した3回戦でまたしても敗退しました。

2年生の秋の県大会ではエースナンバーを背負い、チームを16年ぶりのベスト4に導きました。

またこの大会の1回戦で高校2年生史上最速タイとなる球速157 キロを記録しました。

3年生時の2019年4月6日、高校日本代表候補による研修合宿に参加した佐々木投手は紅白戦で、球場の表示ではなく非公式ながら中日ドラゴンズのスカウトのスピードガンで球速163キロを記録しました。

この163キロというのは当時大谷翔平投手が持っていた高校生最速記録である160キロを3キロ上回るものでした。

この出来事以降、佐々木投手に世間の注目が一層集まるようになり『令和の怪物』と呼ばれるようになりました。

野球ファンの多くが佐々木投手が最後の夏に甲子園のマウンドに立つことを願いましたが、大船渡高校は県大会の決勝で花巻東高校に敗れ甲子園出場はなりませんでした。

実は佐々木投手は決勝戦までに登板した4試合(初戦・3回戦・4回戦・準決勝)で3完投し球数の合計は435球を記録しており、國保陽平(こくぼ・ようへい)監督が「故障予防のため」という理由で投手・打者とも決勝戦では出場させませんでした。

この國保監督の決断は野球界のみならず色んな界隈で大きな議論を呼ぶこととなりました。

8月にU-18代表に選出されましたが大会前に右手の中指に肉刺(まめ)ができるというアクシデントがあった為、登板は韓国戦の1イニングにとどまりました。

2019年10月17日に行われたドラフト会議にて北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、埼玉西武ライオンズの4球団から1位指名を受け、抽選の結果交渉権を引き当てたロッテに契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1600万円で入団となりました。

ドラフト年:2019年
指名順位:1位(※4球団競合)
契約金:1億円
出来高:5000万円
年俸:1600万円

プロ1年目となる2020年は春季キャンプからずっと一軍に帯同しましたが井口資仁監督の「試合レベルに達していない。今シーズンはちょっと難しそう」との判断よりルーキーイヤーは一軍・二軍ともに公式戦登板はなく肉体強化に徹しました。

2年目の2021年、二軍で20イニングで防御率0.45と結果を残すと同年5月16日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初登板初先発となりました。

結果は5回107球6安打5奪三振4失点(自責点2)で勝利投手の権利を持ったまま降板しますが、後続が打たれプロ初勝利とはなりませんでした。

しかし2度目の登板となった5月27日の阪神タイガース戦で5回4失点(自責点3)の内容でプロ初勝利を挙げました。

この年は最終的に11試合に先発して3勝2敗、防御率2.27という2年目としては十分な成績を残しました。

2022年は開幕からローテーションに入り疲労を考慮しての起用のため規定投球回には届かなかったものの20先発で9勝4敗、防御率2.02という好成績を残しました。

なお同年4月10日のオリックスバファローズ戦では史上最年少での完全試合を達成しました。

ちなみに4月17日、完全試合を達成した次の登板の北海道日本ハムファイターズ戦でも8回まで完全投球を続けましたが、味方の援護がなく球数もかさんでいた為、8回でマウンドを降り2試合連続の完全試合達成はなりませんでした。

プロでの主な獲得タイトルと受賞歴です。

月間MVP:1回(投手部門:2022年3・4月)
パ・リーグ 連盟特別表彰:1回(リーグ特別賞:2022年)
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佐々木朗希の家族と実家

佐々木投手は岩手県陸前高田市の出身です。陸前高田市は岩手県の東南部の三陸沿岸に位置し、東は大船渡市、北は住田町、南は宮城県気仙沼市に接しています。

三陸海岸特有のリアス式海岸で、2kmに及ぶ砂浜が続く”名勝高田松原”を有し岩手県の中でも雪が少なく比較的温暖な気候の地域です。

そんな陸前高田市は2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波によって大きな被害を受けた地域でもあります。

佐々木投手は津波によって父親と祖父母を亡くし、実家も流されてしまいました。祖父母と一緒に暮らしていたのかは分かりませんでした。

震災直後、佐々木投手の残された家族は老人ホームでの避難所生活を送り、4月になると母親の親族が住む大船渡市に転居しました。

次に佐々木投手の家族構成ですが父親の功太さん、母親の陽子さん、兄の琉希さん、弟の怜希さん、そして佐々木朗希投手の5人家族です。

佐々木朗希家族

父親・・・功太(こうた)さん(※2011年東日本大震災で他界)
母親・・・陽子(ようこ)さん
長男・・・琉希(りゅうき)さん
次男・・・佐々木朗希投手
三男・・・怜希(れいき)さん
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父・功太さんは生前葬儀屋をしていた

佐々木投手の父・功太さんは生前、葬儀屋さんの仕事をしていたといいます。

息子の佐々木投手が身長190㎝ですから父親の功太さんもさぞや大きかったのだろうと思ったのですが、身長は181㎝とそこまで高くはなかったようです。

功太さんは野球の経験はなく自身はバスケットボールの経験者だったそうです。

それでも佐々木投手や兄・琉希さんのキャッチボールの相手をしてくれていたそうです。

功太さんは佐々木投手について

「朗希は凄い!将来、プロになれる」

と予言をしていたそうです。

また功太さんは地元で名の知れた人物で夏祭りでは町内会を率先して盛り上げるなど周りからの人望も厚く市長とも付き合いがあったといいます。

若きリーダー、功太さんに多くの人がほれた。壊滅的被害からの復興に尽力してきた戸羽太・陸前高田市長(55)も、付き合いが長かった1人だ。「有言実行の人。一緒にやろうという仲間作りが上手な人でした」と、未来を語り合った日々を懐かしむ。「気さくで、行動力があって。先輩も後輩も、みんなが付いていって」と褒める言葉が尽きない。

引用元:日刊スポーツ

そんな功太さんは37歳の時、2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波が原因で帰らぬ人となりました。

ちなみに津波が襲ってきた際に佐々木投手(当時9歳)は小学校へ行っており、高台に避難して無事でした。

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母・陽子さんは保険の営業マン、再婚はしていない

佐々木投手の母・陽子さんは岩手県の会社員でOLとして働いている時に東日本大震災に遭ったそうですが無事に非難出来たそうです。

陽子さんがどんなお仕事をしているのかですが、2022年4月にFLASHが報じたところによると保険の営業マンとして活躍しているとのことです。

佐々木家は震災で大黒柱の功太さんが亡くなった後はいわゆる母子家庭だったのですが陽子さんは再婚はせず3人の男の子を女手一つで育て上げました。

一人親で大変だった陽子さんに佐々木投手はとても感謝しており、プロ初勝利を挙げた際のインタビューでウイニングボールは両親にプレゼントするとコメントしました。

そのインタビューの様子を大船渡市の自宅のテレビで見た陽子さんは号泣したそうです。

ヒーローインタビューでウイニングボールをどうするのかと聞かれて「両親にプレゼントします」と言ってくれたことがうれしくて、号泣しました。私だけではなくて両親にと言ってくれたのがうれしかったです。

引用元:スポニチ

こちらは2019年11月、千葉ロッテマリーンズとの契約交渉の場に佐々木投手と共に出席した時の陽子さんです。

佐々木朗希と母陽子さん

画像出典:スポニチ

目鼻立ちがハッキリしていて髪が長くとてもきれいな方ですね。

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兄・琉希さんは父親代わりで厳しかった

兄の琉希さんは佐々木投手の3歳年上です。

元々佐々木投手は兄の影響で野球を始めており所属していた少年野球チームには琉希さんも入っていました。

また高校も佐々木投手と同じ岩手県立大船渡高校出身で琉希さんは4番でエースとして活躍しました。

高校卒業後は東北学院大学教養学部に進学し、2022年4月時点の情報では社会人になられたようです。

ちなみに勤め先は大手広告代理店とのことです。

琉希さんは佐々木投手の野球人生に大きな影響を与えた人物です。

震災で父・功太さんを亡くした後、琉希さんは私生活においても野球においても佐々木投手の面倒を見ました。

琉希さんの佐々木投手に対する接し方は母の陽子さんから見てもかわいそうになるほど厳しかったといいます。

その厳しさは野球を教える時も同じでそれにより佐々木投手は“兄を超えてやる”という反骨精神が生まれたようです。

「琉希がすごく弟の朗希に厳しく接していました。その反動で、朗希は常に兄を超えようとしていました。」

引用元:日刊スポーツ

琉希さんは父親の功太さんを見習ってあえて厳しくしていたといいます。

そんな佐々木投手にとって父親代わりだった琉希さんは“ 朗希(ろうき)”の名付け親でもあります。

朗希の“名付け親”も実は琉希さんだ。大人気だった特撮ドラマ「百獣戦隊ガオレンジャー」に登場する「狼鬼」から、当時3歳だった琉希さんが「ロウキ」を希望。母・陽子さんは「大人も見てたからすっと入ってきて、人とかぶらないしいいんじゃないかと思った」と「朗希」に決まった。

引用元:スポーツ報知

まさか 朗希という名前の由来が戦隊モノだったとは驚きですね。

ちなみに「狼鬼」というのは圧倒的な強さを誇る悪役だが、実はヒーローだったというキャラクターのようです。


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弟・怜希さんも二人の兄を追い大船渡高校へ

佐々木投手の弟・怜希さんも兄二人と同様に野球をしています。

小学生の頃は佐々木投手も所属した「猪川野球クラブ」でプレーしました。

「猪川野球クラブ」では2017年に楽天イーグルス杯で優勝したようです。

怜希さんが佐々木投手の何歳下なのかハッキリと分かりませんでしたが、2017年11月頃は小学校高学年だったとみてよさそうです。

ちなみに佐々木投手は2017年11月は高校1年生ですので、その時怜希さんが小学校6年生であったのなら4学年下ということになります。

怜希さんは高校は兄二人が通った大船渡高校に進学し野球を続けており、2年生ながらショートのレギュラーとして活躍しているようです。

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