親ガチャという言葉を最近ネットなどで見かけた方も大勢いらっしゃると思いますが、どういう意味だかご存知ですか?
意味をご存知の場合はこの言葉についてどうお感じでしょうか?
「言葉の意味は知ってるけど何か違和感を感じる」
なんて思ったことはありませんか?
私は正直親ガチャという言葉はすごくおかしいと思っていますし、とても違和感を感じてしまいます。
倫理的におかしいというのではなくなんかすごく矛盾がある言葉だと思ってしまうんです。
この記事では私が親ガチャという言葉に違和感を感じる理由と私と同じように感じている方々の意見を紹介したいと思います。
そのほか親ガチャについて全く知らないという方の為に親ガチャという言葉の説明はもちろん、親ガチャという言葉が生まれた悲しい背景なんかも紹介いたします。
- 親ガチャの意味を知りたい
- 親ガチャという言葉に違和感を感じている
- 親ガチャと言葉を不快に感じている
親ガチャとは
ここではまず親ガチャとは何なのか、その意味について説明したいと思います。
簡単に言ってしまえば親ガチャとは日本で生まれたインターネットスラング(ネット俗語)です。
ガチャというのは説明はいらないと思います。
古い世代ではガチャガチャという方が一般的かもしれませんね。
百円から数百円入れて回転式のレバーを回すとおもちゃなどが入ったカプセルが出てくるアレです。
昔で言えば大ブームを巻き起こしたキン消しなんかもガチャガチャです。
最近で言えばスマホゲームの”ガチャ”もあります。
親ガチャは主に若い世代が使っている言葉ですので親ガチャのガチャはスマホゲームの”ガチャ”のイメージから来ていると言われています。
で肝心の親ガチャの意味というのは大体想像がつくと思いますが、親は自分の意志では選べないので何が出てくるか分からないガチャの様なものというのを表している言葉になります。
この親ガチャという言葉は2021年ごろからSNSを中心に使われるようになり、ネット上で急速に広まり2021年の「新語・流行語大賞」トップ10にも選出されました。
親ガチャという言葉に感じる違和感
私は親ガチャという言葉を初めて知った時からずっと違和感を感じていました。
親ガチャの使われ方としてよくあるのは「親ガチャでハズレ」「親ガチャに失敗した」といったものです。
別に親子の結びつきをガチャなんかに例えるのは倫理的に宜しくないのではないかという意味で言っているのではありません。
親を自分では選べないというのはそれはそうですけれども、自分という存在を誕生させることが出来るのは自分の両親だけだとは思いませんか?
例えば隣の家がもの凄く裕福でその過程には同い年の子供がいた。もし親ガチャに成功していたら自分がその家の子供だったかもしれない。
親ガチャの理論とはそういったものです。でも他の家の子供になるってことは遺伝子総取っ替えです。それを果たして自分と呼べるのか甚だ疑問です。
私の中では例え何回ガチャを回したとしても同じ親の元にしか自分という存在は生まれないと思っているので親ガチャという言葉が腑に落ちないんだと思います。
ただ意外にも「新語・流行語大賞」のトップ10に選出されたりと言葉としてすんなり受け入れている人が沢山いるのかなと感じています。
もしかしたら世の中生まれ変わりとか信じているロマンチストが多いのかもしれません。
そんな中でも私と同じように根本的におかしいと感じている方も割といらっしゃったのでその方たちの意見もいくつか紹介したいと思います。
その両親の遺伝子からしか自分は生まれてこないんだから
「ガチャ」じゃなくて「必然」だろ
兄弟間で能力差があることを嘆いた「遺伝子組み合わせガチャ」ならまだ分かる
意味不明なんだよな親ガチャって
親がいなかったら自分が存在してないんだからガチャでも何でもなく必然でしかない
子ガチャというなら精子や卵子のガチャだからわかる
親ガチャなんてものはないよ
子供にとって親は必然でしかないもの
親ガチャという言葉の誕生には悲しい背景があった
なぜ親ガチャという言葉が生まれたのかについて実は悲しい背景が存在します。
親ガチャという言葉を使い始めたのは親から虐待をされている若者たちと言われています。
彼らは「虐待されている」「貧困に苦しんでいる」といった現状をストレートな言い方で表現せずポップな親ガチャという言葉を使うことで親の心理的負担を軽くし、尚且つ自己責任を回避しているのだといいます。
私は親ガチャという言葉はてっきり面白半分で使われ始めたものだと思っていたのでそのような誕生秘話があったなんて知りませんでいた。
このような事実を知ってしまうと親ガチャという言葉に対し依然として違和感は消えないものの在ってもよい言葉なのかなと思ってしまいます。
まとめ
私は親ガチャの意味を知ってもずっと「おかしいだろ」と思っていました。
それは自分の親からしか自分という存在は生まれないと断固として思っているからです。
ですが元々親ガチャという言葉を使うことに対しては否定も肯定もしないスタンスでした。
ただ親ガチャという言葉が生まれた悲しい背景を知った今はどちらかと言えば肯定派です。
親に虐待などをされて精神的に病んでいる子供たちの心が少しでも軽くなるのであれば親ガチャという言葉の存在意義は十分にあります。
願わくばそのような子供たちが少しでも減るような世の中になってほしいですね。