岡本和真の家族構成!父の会社が倒産?兄2人の苗字が違う理由は婿養子!

岡本和真読売ジャイアンツ
画像出典:スポニチ
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2年連続で本塁打王と打点王を獲得するなどNPBを代表するスラッガーの1人である読売ジャイアンツ、岡本和真選手の家族について取り上げます。

岡本選手の家族構成のほか父親の会社が倒産した事や兄2人の苗字が岡本ではない事など詳しく紹介します。

そのほか岡本選手のプロフィールや野球歴も合わせて紹介します。

それではさっそく本題に入っていきましょう。

⇒岡本和真の嫁は誰?結婚はいつ?子供は何人?自宅や愛車情報も!

この記事で分かること
  • 岡本和真の家族構成
  • 岡本和真がプロになれたのは兄の影響が大きい
  • 岡本和真の名前の由来について
  • 岡本和真の2人の兄の苗字が違う理由
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岡本和真の実家と家族構成

岡本和真選手の実家は奈良県五條市にあります。五條市は紀伊半島の中央部、奈良県の南西部に位置します。

吉野川が市の中央を分断するように西流しているほか金剛山と吉野連山に囲まれるなど豊かな自然とロマンあふれる歴史に満ちた市です。

ここからは岡本選手の家族について紹介していきます。

まず家族構成ですが、父親の義清さん、母親の智代美さん、1番目の兄の晃平さん、2番目の兄の道明さん、母方の祖父の義家さん、母方の祖母の和嘉子さん、そして岡本選手の7人家族です。

家族7人で智代美さんの実家でもある2階建ての一軒家に住んでいたそうです。

父親・・・義清さん
母親・・・智代美さん
長男・・・晃平さん
次男・・・道明さん
★三男・・・岡本和真選手
祖父・・・義家さん
祖母・・・和嘉子さん
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父・義清さんは野球未経験者、会社が倒産して転職

プロ野球選手の中には野球をしていた父の意志を継いでプロになった方も大勢いらっしゃいますが、岡本選手の父・義清さんは野球未経験者で中学時代は陸上をやっていたそうです。

義清さんは奈良県内の商業高校を卒業した後は食品製造業の会社に30年勤務します。

その会社で総務部などで部長を務めたそうですが、岡本選手が中学1年生の時に会社が倒産してしまったそうです。

その後、配管パイプを製造する工場に勤務するようになったそうです。

上記は2014年11月22日に週刊誌が公開した記事による情報ですので現在も配管パイプ製造のお仕事をされているかは分かりません。
参考:日刊ゲンダイDIGITAL 2014/11/22

こちらの画像はドラフト指名時の岡本選手と父・義清さんと母・智代美さんです。

岡本和真と両親

画像出典:サンスポ

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母・智代美さんが心身ともに息子をサポート

読売ジャイアンツの4番打者としてチームを引っ張り、WBC2023の日本代表にも選ばれるなど今では日本を代表する打者となった岡本選手ですがその陰には母・智代美さんの存在がありました。

岡本選手は智弁学園高校時代、智代美さんが毎日作ってくれていたというお弁当を食べ、智代美さんから貰ったお守りをユニホームに忍ばせ本塁打を量産しました。

プロになってからも智代美さんと連絡を取り合い、岡本選手にとって心の支えになっていました。

プロ入り後、心の支えとなってくれたのも智代美さんだ。1年目の15年は8月後半から1軍初昇格。母と連絡を取り合う中で気持ちを落ち着かせつつ、闘争心を奮い立たせた。「優勝争いの貴重な時に1軍にいられて幸せ」。グラウンドでは感情を出さずにプレーしていたが、そんな本音も母にだけは打ち明けていた。

引用元:スポーツ報知

そんな母・智代美さんに岡本選手は誰よりも感謝しており、毎年母の日にはバッグや化粧品などを贈ったりしているといいます。

また2019年オフにはハワイへの優勝旅行に智代美さんを招待し腕時計をプレゼントしたそうです。

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祖父母からホームランを打つ度にお小遣い

岡本選手はおばあちゃん子でもあり、祖母・和嘉子さんが作る豚汁が大好きだったそうです。

和嘉子さんは夏から秋にかけて、近くの梨山で収穫を手伝い、直売所で働いていたそうで、そのお仕事で稼いだお金を岡本選手にお小遣いとして渡していたそうです。

ただお小遣いは何もせずに貰えるものではなく、ホームランを打つことで貰えたそうです。

熱心な阪神ファンで野球好きだった祖父の義家さんが岡本選手が打ったホームランを査定し、その重要度に応じて1ホームランにつき最大1万円のお小遣いを貰えたそうです。

高校時代、岡本選手は73本ものホームランを打っており、祖父母にとっては嬉しい悲鳴だったようです。

「ホームラン1本最大1万円。これを熱狂的な阪神ファンで野球好きのおじいちゃんが査定するんです。大事な試合やったからとか、決勝本塁打やったからいくらとか、どうでもいい場面やったから少し安めとか。まさか高校で73本も打つとは思わんかったらしく、最後の方は5000円でええか? って(笑い)。和真は自宅通いでしたから、その小遣いで、寮住まいの部員にお菓子を大量に差し入れしたり、後輩たちをレストランに連れていってごちそうしたみたいです」(義清さん)

引用元:日刊ゲンダイDIGITAL

貰ったお小遣いを自分の為だけに使わない岡本選手も優しいですね。

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2番目の兄・道明さんの英才教育がプロへ導いた

岡本選手は3歳の時に五條高校で野球をしていた8歳年上の2番目の兄・道明さんとのキャッチボールで野球に親しみ始めました。

前述しましたが岡本選手は小学校1年生の時に「カインド」という軟式野球チームに入るのですが、その頃から道明さんから容赦ないノックでしごかれていたそうです。

道明さんは就職後も会社から家に帰宅した夜8時頃から岡本選手に野球の稽古をつけたそうです。

さらに仕事が遅くなり夜11頃に帰宅した時には「素振りしたか?」と日付が変わるまで岡本選手の練習に付き合ったといいます。

「和真は小1で160センチサイズのズボンをはけるくらい体が大きかったので、容赦なしにノックをしたりと、兄貴にしごかれてました(笑い)。道明が就職してからも、会社から夜の8時に帰ってきて『始めよか』と9時から練習。仕事が遅くて11時に帰ってきても『素振りしたか?』と日付が変わるまで和真の練習に付き合った。夜が遅い時は自宅の和室で振るんです。もともと、兄がここで振っていたのを和真もマネしてやるようになった。ガラスを鏡代わりにして中学時代は500スイング。2人で振ったから畳の上敷きはボロボロ。部屋は8畳の広さですが、和真は体が大きかったので、蛍光灯や壁にバットが当たるんちゃうかとヒヤヒヤしてました(笑い)」(義清さん)

引用元:日刊ゲンダイDIGITAL

きっと道明さんとしては野球未経験者の父親に代わって野球が上手くなりたいという弟の力になってあげたいと思ったのでしょう。

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岡本和真の名前の由来と兄2人の苗字が違う理由

兄弟の名前って1文字同じ漢字が入っていたりすることが多いですが岡本家の男3兄弟は全くバラバラで両親の名前とも関係しています。

長男=晃平
次男=道明
三男=和真

兄2人の名前の由来については分かりませんでしたが、岡本選手の和真というのは「人との和を大切に、その真ん中にいる人物になってほしい」という思いから両親が付けたそうです。

話は変わりますが岡本選手の兄2人の現在のフルネームは

長兄・・・武田晃平
次兄・・・田中道明

となっています。

どうやら兄2人ともが婿養子に入ったらしく、苗字が岡本からそれぞれ武田と田中に変わったようです。

長兄の武田晃平さん(28)と次兄の田中道明さん(26)はすでに結婚して婿養子に入っている

引用元:日刊ゲンダイDIGITAL

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岡本和真のプロフィールと野球歴

名前:岡本 和真(おかもと かずま)
年齢:26歳
生年月日:1996年6月30日
出身:奈良県五條市
身長/体重:186cm/100kg
高校:智弁学園高校
ポジション:三塁手
投打:右投右打
プロ入り:2014年(ドラフト1位)
背番号:25
所属チーム:読売ジャイアンツ

岡本和真選手は五條市立北宇智小学校1年生の時に軟式野球チーム「カインド」で野球を始め、投手兼内野手としてプレーします。

五條東中学校時代は「橿原磯城リトルシニア」に入り投手兼三塁手としてプレーすると2年生の時に全日本中学野球選手権大会・ジャイアンツカップに主軸として出場し、ベスト4進出に貢献しました。

3年生の時には右ひじが剥離骨折をしている中、シニアリーグ日本代表の4番として全米選手権に出場し、打率5割超えの活躍を見せ優勝に貢献しました。

中学時代に投手として球速135キロほどの球を投げていましたが、骨折の影響で高校進学時は投手が出来ない状態でした。

中学卒業後は、約20校ほどの強豪校から誘いがありましたが、小学生の頃から憧れのあった智弁学園高校に進学します。

1年生の春からベンチ入りすると同年の秋から4番に座ります。3年生の春に出場した選抜高校野球大会では1回戦の三重高校戦で1試合2本塁打を放ちました。

同年夏に高校野球選手権大会にも出場しますが1回戦で明徳義塾高校に4対10で敗れ初戦敗退となりました。

選手権大会後に行われた第10回18Uアジア野球選手権大会の日本代表に選出されると4番打者として打率.437、5打点を記録し準優勝に貢献しました。

高校通算本塁打は73本でした。

2014年のプロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから単独1位指名を受けて、契約金8000万円、年俸1200万円という条件で入団となりました。

ドラフト年:2014年
指名順位:1位(読売ジャイアンツ)
契約金:8000万円
年俸:1200万円

ルーキーイヤーとなる2015年から2017年まで本塁打1本のみに留まっていましたが、2018年に一気に才能が開花してプロ野球史上最年少となる22歳での「3割・30本塁打・100打点」を達成しました。

その後、5年連続でシーズン30本塁打以上を記録するなどジャイアンツの4番打者としてチームをけん引しています。

プロでの主な獲得タイトルと受賞歴です。

本塁打王:2回(2020年、2021年)
打点王:2回(2020年、2021年)
ベストナイン:1回(三塁手部門:2020年)
ゴールデングラブ賞:2回(三塁手部門:2021年、2022年)
クライマックスシリーズMVP:1回(2019年)
月間MVP:1回(野手部門:2022年3・4月)
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