2023年のWBCで侍ジャパン初の日系メジャーリーガーとして日本の優勝に大きく貢献したラーズ・ヌートバー選手の家族について取り上げます。
ヌートバー選手のアメリカ人で親日家の父、日本人で埼玉県出身の母、元マイナーリーガの兄、バレーボールをやっていた姉について詳しく紹介していきます。
そのほかヌートバー選手自身のプロフィールや野球歴、日本代表に選ばれた経緯も合わせて紹介したいと思います。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
- ヌートバーの両親の出会いや馴れ初め
- ヌートバーの父は東洋水産に勤めていた
- ヌートバーの母は埼玉県東松山市の出身
- ヌートバーのミドルネーム「タツジ」の由来
- ヌートバーには兄と姉が1人ずついる
- ヌートバーの兄は元マイナーリーガー
ヌートバーのプロフィールと野球歴
まずはヌートバー選手自体あまり知らいないという方の為に彼のプロフィールや野球歴を紹介します。
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日本名:榎田 達治(えのきだ たつじ)
ニックネーム:たっちゃん
年齢:25歳
生年月日:1997年9月8日
出身:カリフォルニア州ロサンゼルス郡エルセグンド
身長/体重:190cm/95kg
高校:エルセグンド・ハイスクール
大学:南カリフォルニア大学
ポジション:外野手
投打:右投左打
プロ入り:2018年(MLBドラフト8巡目)
背番号:21
所属チーム:セントルイス・カージナルス
ヌートバー選手は野球経験があった父や兄の影響で5歳の頃に野球を始めました。
エルセグンド・ハイスクール時代は野球とアメリカンフットボールを並行してやっており、アメフトではクオーターバック(QB)として活躍しました。
ハイスクール卒業後、南カリフォルニア大学(USC)に進学するのですがその際に野球部とアメフト部で奪い合いになったそうです。
そこで決断を迫られたヌートバー選手は野球に専念することを決めました。
2018年、MLBドラフトでセントルイス・カージナルスから8巡目(全体243位)指名され、同球団に入団します。
同年にカージナルス傘下のA-級ステート・カレッジ・スパイクスでプロデビューを果たします。
2021年、シーズン当初AAA級メンフィス・レッドバーズでプレーしていましたが同年6月にメジャー初昇格を果たしました。
この年は最終的にメジャーで58試合に出場し打率.239、5本塁打、15打点、2盗塁という成績を残しました。
翌2022年は主にライトを守り、メジャーで108試合に出場して打率.228、14本塁打、40打点をという成績を残します。
2023年の第5回WBCでは日本代表メンバーとして招集され、大会では初戦から決勝までの全7試合に1番・センターで先発すると積極的な打撃と守備で日本の3度目となる優勝に貢献しました。
ヌートバーの実家と家族構成
ヌートバー選手の出身地はアメリカカリフォルニア州ロサンゼルス郡エル・セグンドです。
ヌートバー選手が育った自宅はロサンゼルス国際空港から車でわずか5分ほどの閑静な住宅街にあるそうです。
また自宅から南に3分ほどの距離にヌートバー選手が通っていたエルセグンド・ハイスクールがあるとのことです。
ヌートバー選手の家族構成ですがオランダ系アメリカ人の父であるチャーリーさん、日本人の母である久美子さん、お兄さんのナイジェルさん、お姉さんのニコールさん、そしてヌートバー選手の5人家族です。

画像出典:Number web
母親・・・久美子さん
長男(兄)・・・ナイジェルさん
長女(姉)・・・ニコールさん
★次男・・・ヌートバー選手
父・チャーリーさんは親日家で東洋水産の元社員

画像出典:Facebook
ヌートバー選手の父親のチャーリーさんはカリフォルニア工科大在学時、日本語を専攻していたそうで日本への留学経験もあります。
大学卒業後は日本企業の東洋水産に就職したのち現在は地元カリフォルニアでゴルフ用品などの輸出入業を行なっているそうです。
東洋水産といえばカップ麺の「マルちゃん」で有名な会社です。当時チャーリーさんがどのようなお仕事をされていたのか気になりますね。

画像出典:東洋水産HP
またチャーリーさんは大学まで野球をやっていたこともあり現在アマチュア野球のインストラクターも務めているのだとか。
野球に詳しいチャーリーさんは息子であるヌートバー選手について「ずっと変わらないストロングポイントがボールにバットを合わせる能力。だから三振が少ない。今はその要素にパワーを加えている段階」と分析してます。
日本と関わりの深い人生を歩んできたチャーリーさんは親日家であり、ヌートバー家は米国では珍しく自宅玄関で靴を脱ぐスタイルだそうです。
また食事はご飯やみそ汁といった和食が食卓に並ぶことが多いとのこと。
ちなみにヌートバー選手は納豆やわさびも好んで食べるのだそうです。
母・久美子さんは埼玉県出身で父親の名前は達治

画像出典:Facebook
ヌートバー選手の母親の久美子さんの旧姓は「榎田久美子」といいます。
久美子さんのお父さん、ヌートバー選手から見れば母方の祖父ですが名前を「榎田達治」さんといい、ヌートバー選手のミドルネーム「タツジ」の由来になっています。
久美子さんの出身は埼玉県東松山市なのですが、達治さんは東松山市議会議員を務められた方で2023年現在は地元の危険物防火安全協会会長を務めているそうです。
そのおじいさんである達治さんですが、今回のWBCでの孫の日本代表としての大活躍に大喜びだったようです。

画像出典:スポニチ
話を久美子さんに戻しますが、久美子さんは高校時代にソフトボール部に所属していたそうでヌートバー選手に最初にバッティングを教えたのが久美子さんだったといいます。
チャーリーさんとの出会いですが、久美子さんは専門学校を卒業した後にカリフォルニアに語学留学したんだそうです。
そこで「日本に興味があるアメリカ人がいる」とカリフォルニア・ポリテクニック州立大の学生だったチャーリーさんを紹介されたそうです。
しかしこの時は特に親しくなったということはなかったといいます。
転機はチャーリーさんが日本へ語学留学することになった時で、来日する直前にお世話になるはずだった日本側のホストファミリーからドタキャンされたチャーリーさんに久美子さんは「じゃあうちに滞在する?」と手を差し伸べたそうです。
そしてチャーリーさんは久美子さんの実家で一緒に暮らすようになり、その後はあっという間に恋仲に発展したそうです。
兄・ナイジェルさんは元マイナーリーグの投手
ヌートバー選手にはお兄さんがいます。
名前はナイジェルさんといい1993年生まれでヌートバー選手の4歳年上になります。
母である久美子さんが里帰り出産したため日本生まれです。
ナイジェルさんのミドルネームは母親の旧姓からとった「榎田(エノキダ)」だそうです。
幼少期から野球のほかサッカーやバスケットボールにも打ち込むスポーツマンでした。
そして実はヌートバー選手と同じようにプロ野球選手だった時代があります。
2014年から2017年頃までアメリカンリーグの「オリオールズ」傘下の「ボルチモアオリオールズ」でリリーフ投手として活躍していました。
残念ながらマイナーリーガー止まりで弟のようにメジャーリーガーにはなれませんでした。
現在は野球アカデミーのインストラクターのほか商業保険会社に勤務されているとのことです。
姉・ニコールさんはバレーボールをしていた
ヌートバー選手の兄弟には兄のナイジェルさんのほかに姉のニコールさんがいます。
ニコールさんは1994年生まれでヌートバー選手の3歳年上になります。
ニコールさんもナイジェルさんと同じように日本で生まれました。
実は兄弟でヌートバー選手だけがアメリカ生まれです。
ニコールさんのミドルネームは「夏海(ナツミ)」だそうです。
ヌートバー家はスポーツ一家ですがニコールさんは幼少期からバレーボールに打ち込まれていたそうです。
なお現在は「UCLA Athletics」で競技トレーナーのアシスタントをされているそうです。
ヌートバーが侍ジャパン(日本代表)に選ばれた経緯
WBCの大会が始まる前、ヌートバー選手のプレーを実際に目にする前の段階ではなぜ彼を侍ジャパン(日本代表)のメンバーに選んだのかと否定的な意見もかなりあったようです。
なぜヌートバー選手が侍ジャパンに選ばれたのかその経緯について紹介していきます。
ヌートバー選手自身はアメリカ国籍ですがWBCの規定で
と定められており日本人の母親を持つヌートバー選手は侍ジャパンに選ばれる資格を有していました。
次に今大会を持って監督勇退が伝えられている栗山英樹さんがヌートバー選手を選出した理由ですが会見の席で以下のように説明しています。
(選出理由は)勝つことが一番。ツボにはまればホームランも打てる。特に日本の球場なら。スピードもあるしバランスもいい。勢いをつけてくれる」と説明。性格についても「100%全員が好きになる。愛される人柄」と太鼓判を推した。
引用元:スポーツ報知
栗山監督は上記のこと以外にもきっと世界と戦う上で日頃から最高峰のメジャーリーグでプレーしているヌートバー選手の経験値が絶対に必要になると考えたのだと思います。
ヌートバー自身、日本代表に憧れがあった
ヌートバー選手は日本国籍ではなくアメリカ国籍で日本語も話せません。
ですのでWBC大会中は大谷翔平選手の通訳を務める水原一平さんがヌートバー選手の通訳も務めていたそうです。
結果的にはヌートバー選手の人柄でチームの輪に溶け込んでいるように見えましたが、他の日本代表メンバーとのコミュニケーションも簡単ではなかったことと思います。
日本代表に選ばれる資格を持ち、栗山監督が熱望したから実現したわけですが、日本国民として代表参加を快諾してくれたヌートバー選手には感謝しかありません。
実はヌートバー選手自身も幼少期から日本代表としてWBCに出場することを望んでいたようです。
2006年、高校野球の日本代表がアメリカに遠征に来た際にメンバーの数人がヌートバー家にホームステイをしたそうです。
その時期の高校野球日本代表は斎藤佑樹投手や田中将大投手などがいた頃でヌートバー選手は2人と一緒に写真を撮ってもらったりもしています。

画像出典:中日スポーツ

画像出典:朝日新聞デジタル
ヌートバー選手はこの頃の経験によって将来日本代表になることを夢見るようになったそうです。
そしてその時から17年後、実際に日本代表選手になり主力選手としてWBC優勝に貢献するのですから素晴らしい野球人生ですね。
いつかヌートバー選手が日本のプロ野球でもプレーする姿が見てみたいです。