大阪桐蔭高校時代に3度の全国制覇を成し遂げ投打の二刀流で甲子園を沸かせたスター、中日ドラゴンズの根尾昂選手の家族について取り上げます。
父親が医者で母親も医療従事者であること、さらに姉は看護師で兄が医学生であることなど詳しく紹介します。
そのほか根尾選手のプロフィールや野球歴、学業優秀で実は慶応高校に進学予定だったことも合わせて紹介します。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
⇒根尾昂の彼女・サトミ(モデル)はハーフ美女!中学時代の彼女に関する噂も!
- 根尾昂の両親について
- 根尾昂の兄弟は姉と兄が1人ずつ
- 根尾昂の兄も野球をしていた
- 根尾昂の家族は全員が医療従事者
- 根尾昂は慶応高校に進学予定だった
根尾昂の実家と家族構成
根尾昂選手の実家は岐阜県飛騨市(ぎふけんひだし)にあります。
飛騨市は岐阜県の最北端に位置しており、2004年2月1日に古川町、河合村、宮川村、神岡町の2町2村が合併して誕生しました。
ここからは根尾選手の家族について紹介していきます。
まずは家族構成ですが父親の浩さん、母親の実喜子さん、姉の春陽(はるひ)さん、兄の学(まなぶ)さん、そして昂選手の5人家族となります。
昂選手は3人姉弟の末っ子ということになりますね。
母親・・・実喜子さん
長女(姉)・・・春陽さん
長男(兄)・・・学さん
★次男・・・昂選手
父・浩さんは地元の飛騨市で医者をしている

画像出典:スポニチ
生まれ:1966年頃
出身:岐阜県大野郡白川村
大学:自治医科大学
根尾投手のお父さんの名前は浩さんといいます。
年齢はハッキリとは分かりませんが1966年頃の生まれの様です。
出身は世界遺産として知られる「白川郷」がある岐阜県大野郡白川村です。
浩さんは栃木県にある自治医科大学を卒業後、兵庫県たつの市の医療機関で4年間勤務して県立岐阜病院を経てから1997年に旧吉城郡宮川村の林診療所(現・飛騨市宮川診療所)に赴任されました。
なお現在は宮川診療所で院長をされているそうです。
母・実喜子さんは医療従事者で昂の名前を付けた

画像出典:スポニチ
生まれ:1966年頃
出身:兵庫県たつの市
大学:自治医科大学
根尾投手のお母さんの名前は実喜子さんといいます。
実喜子さんも夫の浩さんと同じ自治医科大学の卒業生で浩さんとは同級生だったらしいので生まれは1966年頃と思われます。
実喜子さんと浩さんはおそらく大学で初めて知り合ったのだと思いますが、お二人は結婚後、実喜子さんの実家がある兵庫県たつの市で暮らし始めます。
その後に浩さんの県立岐阜病院への転勤に合わせて引っ越します。
そこから浩さんは次に宮川診療所へ移るのですが、それに合わせて実喜子さんも隣村の河合診療所に勤務されているそうです。
ちなみに根尾投手の「昂(あきら)」という名前は実喜子さんが付けたのだそうです。
「昂(あきら)」の名は母実喜子さん(49)が命名。「もともと『(気持ちが)昂(たか)ぶる』という文字で使われていた。そこから来ています」と父浩さん(50)が語る。
引用元:日刊スポーツ
姉・春陽さんは看護師をしている
生まれ:1995年
高校:岐阜県立斐太(ひだ)高校
大学:富士大医学部看護科
根尾選手のお姉さんの名前は春陽さんといいます。
春陽さんは根尾選手より5歳年上だそうなので生まれは1995年ということになります。
高校は白線流しで有名な岐阜県立斐太高校を卒業されているそうです。
その後、富士大医学部看護科を卒業され現在は看護師になられているようです。
春陽さんも弟の根尾選手と同じ様にスポーツも得意だったようで小学生の頃はスキー、中学生の頃は陸上をやっていたそうです。
なお中学3年生の時には800m走では地区大会で2位の成績を収めたそうです。
兄・学さんは高校時代甲子園まであと一歩

画像出典:中日新聞
生まれ:1997年
高校:岐阜県立斐太(ひだ)高校
大学:岐阜大学医学部
根尾選手のお兄さんの名前は学さんといいます。
学さんは根尾選手より3歳年上だそうなので生まれは1997年ということになります。
学さんは姉の春陽さんと同じ岐阜県立斐太高校を卒業後、岐阜大学医学部に進学されました。
現在の学さんがまだ大学に在籍中なのか、大学院に進まれたのか、すでにお医者さんになられているのか分かりませんでした。
学さんも弟の根尾選手や姉の春陽さんのように文武両道だったようです。
学さんは小さい頃から野球をやっており、根尾選手は兄の影響で野球を始めています。
高校に上がると初めは野球ではなくバスケットボール部にはいったそうなのですが、高1の1月から野球部に入りエースとして活躍します。
高校3年生の夏には斐太高校史上初となる岐阜県大会決勝進出を果たしました。
学さんは決勝でも好投したようですが、残念ながら一歩及ばず準優勝に終わり甲子園出場はなりませんでした。
ちなみに大学では野球部ではなくバスケットボール部に所属されたそうです。
野球は高校でやり切った感があったのかもしれませんね。
根尾昂のプロフィールと野球歴
この投稿をInstagramで見る
年齢:23歳
生年月日:2000年4月19日
出身:岐阜県吉城郡河合村(現:飛騨市)
身長/体重:177cm/82kg
高校:大阪桐蔭高校
趣味:読書
特技:スキー
ポジション:投手
投打:右投左打
プロ入り:2018年ドラフト1位
背番号:7
所属チーム:中日ドラゴンズ
根尾昂投手は飛騨市立河合小学校2年生の時に「古川西クラブ」で野球を始めました。
小学生当時は主に投手と三塁手を務め、ドラゴンズジュニアにも選出されました。
飛騨市立古川中学校時代は硬式野球チームの「飛騨高山ボーイズ」でプレーします。

画像出典:スポニチ
3年生の時にNOMOジャパンに選ばれたり、中学生ながら投手として最速146キロを計測し「スーパー中学生」として一躍大きな注目を集める存在となりました。
高校時代は甲子園で3度の全国制覇

画像出典:Number
高校は全国屈指の名門・大阪桐蔭高校へ進学します。
大阪桐蔭では1年生の夏からベンチ入りします。
2年春からチームの主力となり投手と遊撃手をメインにチーム状況によっては外野も守り、2年の春から3年の夏まで4期連続で甲子園に出場しています。
その内、2年春・3年春・3年夏の3度全国制覇(春連覇及び春夏連覇)を達成しました。
以下は根尾投手の甲子園での成績となります。

出典:ドラフト・レポート
なお根尾選手と同学年に一緒にプロ入りを果たした藤原恭大・柿木蓮・横川凱選手らがおり「大阪桐蔭最強世代」と呼ばれていました。
2018年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議において根尾投手は中日ドラゴンズ、北海道日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツ、東京ヤクルトスワローズの4球団から1位指名を受けます。
抽選の結果、交渉権を獲得した中日に契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円という条件で入団となりました。
指名順位:1位(中日)※4球団競合
契約金:1億円
出来高:5000万円
年俸:1500万円
プロ入り後、野手専念から投手専念へ
高校時代、投手と野手の二刀流で活躍した根尾選手でしたがプロでは野手一本で挑戦することになります。
1年目となる2019年は開幕前の1月に右腓腹筋の肉離れを起こしたこともあり良いスタートが切れず、同年9月29日の対阪神戦でプロ初出場(遊撃手として途中から)となりました。
2年目の2020年8月11日、対広島東洋カープ戦で通算17打席目でプロ初ヒットが生まれました。
この年、9試合に出場しましたが全て外野手で遊撃手としての出場はありませんでした。
3年目の2021年は初めて開幕1軍出迎え3月31日の読売ジャイアンツ戦でプロ初打点、5月4日の横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初本塁打となる満塁ホームランを放ちました。
しかし6月に月間打率1割を下回る不振陥り後半戦は殆ど2軍で過ごしました。
プロ4年目の2022年、シーズン途中に野手と投手の二刀流としてプレーすること、並びに翌年からは投手に専念することが発表されます。
この発表後は主に中継ぎ投手として起用され、最終的にこの年は投手として25試合に登板して1ホールド、防御率3.41という成績を残しました。
根尾昂は学業優秀で慶応高校に進学予定だった
根尾昂選手の家族は全員が医者や医療従事者だったりとても優秀なのですが、根尾選手自身も野球だけでなく学業もとても優秀だったのは有名な話です。
中学時代の成績は3年間ずっとオール5で偏差値が70あったとも言われています。
高校時代も野球部員でただ一人成績が最上位クラスに属し、成績もオール5に近いものだったといいます。
また優等生らしく学生時代から趣味は読書だったそうです。
そんな学業も優秀だった根尾選手は実は中学卒業後は慶応高校に進学するのではという噂もあったようです。
慶応高校は大阪桐蔭高校ほどの野球の名門校ではありませんが全国制覇の経験もあり野球の強豪校には違いありません。
そして何よりエスカレーターで慶応大学に入ることが出来ます。
週刊誌の報道によると慶応高校で進路が決まりそうだったところ、大阪桐蔭高校の西谷浩一監督の必死の勧誘もあり大阪桐蔭に進学することを決めたそうです。
根尾選手の実家がある岐阜県内のホテルに連泊して、実家へ通い続けたという話もあった。本人と両親に、『一度、うちの練習を見学してほしい』と直談判し、それが決め手となったようです」(前出・元高校野球監督)
引用元:SmartFLASH