プロ1年目から30盗塁を記録し盗塁王を獲得した阪神タイガースのスピードスター、中野拓夢選手の家族について取り上げます。
父親が熱心な阪神ファンで中野選手に野球(特に守備)の稽古を付けていたことや母親がラーメン好きでスコアブックを付けることが出来たり、兄は野球ではなくバスケットボールをしていたことなど紹介します。
そのほか中野選手のプロフィールや野球歴も合わせて紹介します。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
⇒中野拓夢の歴代彼女!インスタのツーショット写真の女性は誰?
- 中野拓夢の両親の年齢や年齢など
- 中野拓夢の守備は父の指導によって開花
- 中野拓夢には兄と姉が1人ずついる
- 中野拓夢は高2の夏に甲子園出場
中野拓夢の実家と家族構成
中野拓夢選手の実家は山形県天童(てんどう)市にあります。
天童市は山形県のほぼ中央部に位置し、東南には蔵王連峰を望み、西には月山を仰ぐ豊かな自然に恵まれています。
また同市は「将棋駒」と「ラ・フランス」が日本一の生産量を誇ります。
ここからは中野選手の家族について紹介していきます。
まず家族構成ですが父親の茂明さん、母親の節子さん、お兄さん、お姉さん、そして拓夢選手の5人家族です。
母親・・・節子さん
長男・・・名前不明
長女・・・名前不明
★次男・・・拓夢選手
父・茂明さんは阪神の大ファンで息子に野球を指導
中野選手の父・茂明さんについて詳しい生年月日は分かりませんでしたが、1965年頃の生まれのようです。
茂明さんは熱心な阪神タイガースのファンとのことでその影響を受けた中野選手は山形出身でありながら幼少期から阪神ファンでした。
しかしながら当然、山形県では阪神の中継は無いので中野家では有料放送で阪神戦を観戦していたそうです。
テレビ観戦だけでなく阪神の交流戦が仙台や札幌で行われる時は家族で見に行ったりもしたそうです。しかし本拠地である甲子園球場にも一度も足を運びませんでした。
それには茂明さんの「高校で拓夢に(甲子園へ)連れてきてもらうのが最初がいいから」という思いがあったからだそうです。
なお中野選手は日大山形高校2年の夏に甲子園に出場し茂明さんの夢を実現しています。
中野選手は守備に定評のある選手ですが、中野選手の高い守備力は父である茂明さんと共に築き上げたものでした。
野球を始めた小学生当時、体の小さかった中野選手を見て茂明さんは
と考え当初はバットを与えなかったそうです。
茂明さんは息子の守備力を磨くためにチームでの練習の後に白球が見えなくなるまでノックを打ったり、寝る前にも父と息子で向かい合って球を投げ合い、徐々に電灯を暗くして補給練習を行なっていたそうです。
まさに父と子で掴み取ったベースボールドリームといった感じですね。
母・節子さんはラーメン好きで息子の野球スコアを記録
中野選手の母・節子さんについて詳しい生年月日は分かりませんでしたが、1968年頃の生まれのようです。
節子さんはラーメンが好物なんだそうで中野選手が中学生の頃、よく一緒にラーメン屋に行ったそうです。
また息子の応援にも熱心で常に野球を見に来てはスコアを記録してくれたそうです。
節子さんの画像は茂明さん同様見つかりませんでしたが、
節子さん本人が中野選手について
と語っておりきっと中野選手のような優しい顔立ちをされたお母さまなのでしょう。
中野選手は2021年5月4日の試合でプロ第1号となるホームランを打ったのですが、その時のホームランボールは母の日のプレゼントとして節子さんに贈られたみたいです。
阪神中野 この間のプロ1号ボールを贈りたい/母の日#中野拓夢 #阪神タイガース #挑超頂 #tigers https://t.co/SrLX1LblDU
— 日刊スポーツ大阪本社 (@ONikkansports) May 10, 2021
兄や姉は父である茂明さんに似ている
中野選手に兄と姉が存在することは間違いありませんが、共にほとんど情報が無く名前や年齢についても分かりませんでした。
先ほど母の節子さんが中野選手はご自身に似ていると語っていたことを紹介しましたが、
お兄さんやお姉さんについては
と語っており父である茂明さんと似ているそうです。
他には中野選手がお兄さんの影響で小学生時代に一時期バスケをしていたという話がありましたので兄さんはバスケットボールをして青春時代を過ごしたのかもしれません。
中野拓夢のプロフィールと野球歴
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年齢:26歳
生年月日:1996年6月28日
出身:山形県天童市
身長/体重:171cm/69kg
高校:日本大学山形高校
大学:東北福祉大学
社会人:三菱自動車岡崎
ポジション:遊撃手、二塁手
投打:右投左打
プロ入り:2020年(ドラフト6位)
背番号:51
所属チーム:阪神タイガース
中野拓夢選手は天童北部(てんどうほくぶ)小学校3年生の時に軟式野球を始めました。
天童第二中学校時代は「山形シニア」に所属し主に遊撃手を務めました。
高校は地元の日大山形高校に進学します。2年生の夏から二塁手のレギュラーに定着。同年夏の甲子園に出場すると山形県勢初の夏ベスト4入りに貢献しました。
3年生になってからは「3番・遊撃手」を務めるようになりますが、再び甲子園に出場することは出来ませんでした。
高校卒業後は東北福祉大学に進学し、1年春からベンチ入りします。
大学通算でベストナインを3度(遊1、二2)獲得。全国大会には1年時秋の神宮大会、及び2・3・4年時春の大学選手権に出場、4年春の大学選手権では打率.333を記録し14年ぶりの日本一に貢献しました。
大学卒業後は社会人野球の三菱自動車岡崎に入社します。
1年目から遊撃手のレギュラーに定着し、「3番・遊撃手」で出場した同年の日本選手権では打率.421、4打点を記録しベスト4入りに貢献しました。
冬にはアジアウインターベースボールリーグに参加すると大会1位の26安打、同2位の打率.371という成績を残しました。
2020年のドラフト会議において阪神タイガースから6位指名を受けて契約金3500万円、年俸800万円という条件で入団となりました。
指名順位:6位(阪神タイガース)
契約金:3500万円
年俸:800万円
2021年のプロ1年目から開幕1軍入りを果たすと東京ヤクルトスワローズとの開幕戦でプロ初打席初安打を記録。
前半戦から活躍したこともありファン投票で遊撃手部門1位に選ばれオールスターゲームにも出場。
この年、30盗塁を記録し盗塁王を獲得したのですが、新人選手の盗塁王は2019年の近本光司選手以来NPB史上3人目の快挙でした。
またシーズン30盗塁は阪神の新人では2001年の赤星憲広・2019年の近本光司に続く快挙となりました。
プロ2年目となる2022年は盗塁数が30から23に落ちたものの安打数はリーグ3位の157安打を記録しました。
2023年3月に開催された第5回WBCの日本代表に選出され大会中に負傷した源田壮亮選手が欠場している間、遊撃手のポジションに就き源田選手の代わりを務めました。
プロでの主な獲得タイトルと受賞歴です。