広島東洋カープの守護神であり東京五輪でも侍ジャパンの守護神を務めた栗林良吏投手の家族について取り上げます。
栗林投手の家族構成や実家のことに加え、父親の秀樹さんと進路のことで衝突があったり、母親の多真美さんがプロ入りに反対だったことなど紹介していきます。
そのほか栗林投手のプロフィールや野球歴も合わせて紹介します。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
- 栗林良吏は父と進路のことで衝突することがよくあった
- 栗林良吏の母は息子にトヨタにずっといて欲しかった
- 栗林良吏は兄と姉がいる末っ子
- 栗林良吏は大学の時に指名漏れを経験している
栗林良吏の家族構成と実家
栗林良吏選手の実家は愛知県海部郡佐織町(あいちけんあまぐんさおりちょう)にあります。2005年4月1日に海部郡佐屋町、立田村、八開村、佐織町の2町2村が合併し現在は愛西市(あいさいし)となっています。
愛西市という市名は公募によって決まったそうで「愛」知県の「西」部に位置することを意味しています。
ちなみ栗林投手は愛知県出身ということもあり、幼い頃から中日ドラゴンズファンとのことです。
ここからは栗林投手の家族について紹介していきます。
まず家族構成ですが、父親の秀樹さん、母親の多真美さん、兄の勇太さん、姉の利奈さん、そして良吏投手の5人家族です。
母親・・・多真美さん
長男(兄)・・・勇太さん
長女(姉)・・・利奈さん
★次男・・・良吏投手

画像出典:日刊スポーツ
画像は左から姉の利奈さん、妻の沙耶さん、母の多真美さん、栗林投手、兄の勇太さん、父の秀樹さんとなっています。
父・秀樹さんとは進路のことでよく衝突した
栗林投手は中学時代、軟式の野球チームに入ってプレーしたのですが本当は硬式チームに入りたかったようです。
当時、栗林投手が「硬式野球チームに入りたい」と父の秀樹さんに泣きながら頼んだそうですが了承してもらえなかったのだとか。
また高校に上がる際には「私立で野球をしたい」と秀樹さんに再び涙を流しながらお願いしたそうです。すると今度は認めてくれたそうです。
もしかしたらこの時も最初は反対されていたのかもしれませんが息子の熱意に打たれたのかもしれませんね。
栗林投手は当時を振り返り「進路のたびに親とぶつかった。そこが自分の分岐点だった」と語っています。
全てが栗林投手の思った通りの野球人生ではなかったかもしれませんが、最終的にはプロ野球選手になって大活躍していますのできっと父と衝突したのも良い思い出になっているのではないでしょうか。
そんな父・秀樹さんは息子である栗林選手について「体も小さかったのでプロ野球選手になれるなんて思いませんでした」と語っています。
それが今やプロ野球で新人王を獲得したり、東京オリンピックで金メダル獲得に大きく貢献したりとさぞや自慢の息子でしょう。
母・多真美さんは息子のプロ入りに反対だった?
先ほど父・秀樹さんが息子がプロ野球選手になれると思っていなかったことを紹介しましたが、逆に母・多真美さんは「プロの世界は厳しいから、一生トヨタ自動車さんにお世話になった方が良いのじゃないか」とプロになった後のことを心配していたみたいです。
確かに社会人野球時代に所属していたトヨタ自動車は一流企業ですからプロで中途半端に活躍して終わるぐらいでしたらずっとトヨタにいて安定した収入を得続ける方が良いと母親なら考えるかもしれません。
しかし多真美さんは最終的には「本人の人生なので任せました」と息子の夢に挑戦する気持ちを尊重することに決めました。
いざ息子がプロ野球選手になって試合に登板するとプロ1年目の時は特に毎回ドキドキしながら観戦していたそうです。
話は変わりますが栗林投手は子供の頃、兄や姉にいじられると母の多真美さんに泣いて助けを求めることがしばしばあったそうです。
末っ子あるあるですね。
兄・勇太さんは野球を始めるきっかけだった
栗林投手の兄・勇太さんも野球をやっていたそうで栗林投手が野球を始めるきっかけとなった人物でもあります。
先に野球を始めていた兄は俊足で強肩だったそうです。そんなすごい兄を見て「兄に勝ちたい」と負けず嫌いに火が付いたようです。
しかし年齢差もあり当時の栗林投手は小柄で球も速くなく兄に何一つ勝てなかったそうです。
それでも兄に負けないという強い気持ちがあったからこそここまで成長できたのだと思います。
ちなみに勇太さんは2021年時点の情報では消防士をされているとのことです。
その兄は今、弟の雄姿に勇気づけられながら、消防士として新型コロナウイルス禍の救急搬送に奮闘している。
引用元:中日新聞
姉・利奈さんはすでに結婚をされている
栗林投手の姉・利奈さんに関しましては名前以外ほとんど情報を見つけることができませんでした。
ですので兄の勇太さんとどちらが先に生まれたのかも分かりませんでした。
ただすでに結婚をされているようで現在の苗字は石橋になっています。
左から、姉、石橋利奈さん、沙耶夫人、母多真美さん、1人おいて兄勇太さん、父秀樹さん
引用元:日刊スポーツ
余談ですが東京五輪の試合の時にはお姉さんも含め家族で揃って応援していたとのことでお姉さんにとっても弟の活躍は大きな喜びになっているでしょう。
栗林良吏のプロフィールと野球歴
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年齢:26歳
生年月日:1996年7月9日
出身:愛知県海部郡佐織町(現:愛西市)
身長/体重:178cm/85kg
高校:愛知黎明高校
大学:名城大学
社会人:トヨタ自動車
ポジション:投手
投打:右投右打
プロ入り:2020年(ドラフト1位)
背番号:20
所属チーム:広島東洋カープ
栗林良吏投手は勝幡(しょばた)小学校2年生の時に「勝幡ドラゴンズ」に入り軟式野球を始めます。当時は内野手で遊撃手のレギュラーを獲得しました。
佐織中学校時代も「藤華クラブ」という軟式チームでプレーしました。
高校は愛知黎明(れいめい)高校に進学します。高校在学中に投手に転向し3年の夏はエースで4番に加え主将という立場で県大会の5回戦まで勝ち上がりましたが栄徳に8回6安打4四死球2失点完投負けしました。
高校時代の最高成績は3番・遊撃手として出場した2年夏の県大会準優勝で残念ながら甲子園出場は叶いませんでした。
高校卒業後は名城大学に進学すると、1年生の春からリーグ戦に出場。
3年生の春にはノーヒットノーランを達成するなどリーグ戦では通算32勝を上げました。
チームとしては2年生と3年生の時に秋季リーグ優勝を経て明治神宮野球大会に出場しました。
また3年生時には大学日本代表にも選ばれました。
大学4年生の時にプロ志望届を提出しますが2位以内の指名が無ければ社会人チームに進むことを決めていたこともあり、指名漏れとなりトヨタ自動車に入社することになります。
入社1年目の2019年からエース格として活躍すると同年のアジア・ウインターリーグでもJABA(社会人野球)選抜チームの優勝に貢献しました。
2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、広島東洋カープから単独1位指名を受け、契約金1億円、年俸1600万円+出来高という条件で入団しました。
指名順位:1位(広島東洋カープ)
契約金:1億円
年俸:1600万円(+出来高)
プロ1年目から当時の佐々岡真司監督から抑えをまかされると開幕から22試合連続無失点を記録し、新人投手による開幕からの連続無失点試合数の日本記録を更新します。
この年、最終的に1敗37セーブ、防御率0.86という好成績を残し2021シーズンのセ・リーグ最優秀新人選手賞(新人王)を受賞しました。
また同年は東京オリンピックの野球日本代表に選出され、大会では守護神として全5試合で救援登板し2勝3セーブと大活躍して日本の金メダル獲得に大きく貢献しました。
プロでの主な獲得タイトルと受賞歴です。