巧みなバットコントロールでいとも簡単にヒットを量産する好打者、近藤健介選手の家族について取り上げます。
近藤選手の家族全員が教育に関わるお仕事をされていることや現在実家は野球の練習施設を運営している事など紹介します。
そのほか近藤選手のプロフィールや野球歴も合わせて紹介します。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
⇒近藤健介の嫁は元ファイターズガールの高橋真央?子供は娘が一人いて単身赴任!
- 近藤健介の父は元中学校教師で野球部顧問だった
- 近藤健介の母も兄も祖父母も教師をしてる(していた)
- 近藤健介の実家は現在野球の練習施設を運営している
- 近藤健介は横浜高校に一般入試で入学した
近藤健介の家族と実家
近藤健介選手の実家は千葉県千葉市緑区にあります。同区はおゆみ野、あすみが丘を中心に自然との調和を基調にした街並みのニュータウン開発が進んでいます。
近藤選手の実家は同区で野球やフットサルの練習施設「KC練習広場おゆみ野」を運営しています。

画像出典:KC練習広場おゆみ野公式ページ

画像出典:KC練習広場おゆみ野公式ページ

画像出典:KC練習広場おゆみ野公式ページ
近藤選手が東京五輪で獲得した金メダルは「KC練習広場おゆみ野」に保管されており、気軽に首からさげることができたり写真撮影も出来たりするそうです。
普段は父が運営する野球やフットサルの練習施設「KC練習広場おゆみ野」で保管。気軽に首からぶらさげ、写真撮影できるようになっている。
引用元:DOSHIN SPORTS
また施設内には近藤選手の記念グッズが所狭しと飾られています。

画像出典:Amebaブログ
ここからは近藤選手の家族について紹介していきます。
まず家族構成ですが父の義男さん、母の昌子さん、7歳上の兄、そして近藤選手の4人家族です。
母親・・・昌子さん
長男・・・名前不明
次男・・・近藤健介選手
父・義男さんは元中学校教師で野球部の顧問
近藤選手の父・義男さんは前述した通り地元で野球やフットサルの練習施設を運営していますがそれ以前は中学校の教師をしていたそうです。
当時、義男さんは野球部の顧問もしていたそうで近藤選手はその部活動の練習に混ぜてもらっていたそうです。
義男さんは野球に関わる重要な役職にも就いており、これまで千葉県小中体連野球専門委員長や日本中体連野球競技部長などを歴任し、現在はU-15侍ジャパン軟式編成委員長、日本中学校野球連盟専務理事を務めているそうです。
参考:南海日日新聞 2021年01月18日
- 千葉県小中体連野球専門委員長
- 日本中体連野球競技部長
- U-15侍ジャパン軟式編成委員長
- 日本中学校野球連盟専務理事
- etc
また義男さんは小学校などで講演もされており、その時には近藤選手の東京五輪の金メダルも持参して子供たちに触れさせてあげているそうです。

画像出典:南海日日新聞
母・昌子さんも兄も祖父母も教師
実は近藤家は父の義男さんだけでなく母の昌子さん、7歳上のお兄さん、そして父方の祖父母に至るまで教師もしくは元教師という教育一家です。
両親と兄、父方の祖父母に至るまで教師、または元教師という徹底ぶり。
引用元:日刊スポーツ
ちなみに義男さんと昌子さんの出身大学は東京学芸大学なのですが、近藤選手が日本ハムに在籍時に長く監督を務めた栗山英樹さんも同大学の出身です。
そのことについて昌子さんは
とコメントしていました。
近藤健介のプロフィールと野球歴
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ニックネーム:コンスケ、コンちゃん
年齢:29歳
生年月日:1993年8月9日
出身:千葉県千葉市緑区
身長/体重:171cm/85kg
高校:横浜高校
ポジション:外野手、捕手、三塁手
投打:右投左打
プロ入り:2011年(ドラフト4位)
背番号:3
所属チーム:福岡ソフトバンクホークス
近藤健介選手は軟式野球クラブの「泉谷メッツ」で野球を始めました。
千葉市立泉谷小学校6年生の時には千葉ロッテマリーンズジュニアに選出され、出場した第1回NPB12球団ジュニアトーナメントで準優勝を果たしました。
ちなみに当時の千葉ロッテマリーンズジュニアには阪神タイガースの髙山俊選手、2019年までプロ野球選手(広島東洋カープ)だった船越涼太さんがいました。
中学野球界の強豪の修徳学園中学校に進学し、学校の軟式野球部に入ります。
2年生の時に遊撃手として全国中学校軟式野球大会へ出場(初戦敗退)、秋からは捕手としてプレーすることになります。
3年時の秋に出場したKボール全国大会(第3回KB全国中学生秋季野球大会)では、ロッテジュニアの4番主将捕手としてチームを4強入りに導きました。
高校は神奈川の名門、横浜高校に進学します。
1年生の春からベンチ入りし、同年の夏は遊撃手のレギュラーとして県大会で8強入りに貢献すると秋からは肩の強さを買われて捕手に転向します。
2年生の夏は県大会の決勝まで進むも東海大相模高校に敗れます。
同年の秋から3年生の選抜高校野球まで主将を務めますが、選抜で初戦負けを喫した後は主将は乙坂智さんに変わり自身は副主将となり乙坂主将とチームを支えます。
3年時の最後の夏は大会直前に右足首の靭帯を痛め、打撃不振に陥りますが桐光学園高校との決勝戦では決勝打を放ちチームを甲子園に導きました。
また全国大会後は第9回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出され、捕手として同大会の優勝に貢献しベスト9にも選ばれました。
小柄ながら高校の通算本塁打は38本を記録しました。
2011年10月27日に行われたドラフト会議において北海道日本ハムファイターズから4位指名を受けて、契約金3000万円、年俸500万円で入団となりました。
指名順位:4位(北海道日本ハムファイターズ)
契約金:3000万円
年俸:500万円
入団してから3年目のシーズンに一軍に定着し、4年目には正捕手の座を掴みましたが、膝の怪我の影響により5年目以降は内外野を務めるようになり、現在は外野での出場がメインになっています。
プロトップレベルの選球眼と優れたミート力を兼ね備え、2017年シーズンは6月途中まで打率4割をキープして話題となりました。
2022年のシーズンオフにFA権を行使して日本ハムから福岡ソフトバンクホークスへ移籍しました。
また2021年は東京五輪で野球日本代表(侍ジャパン)として金メダル獲得に貢献しました。
プロでの主な獲得タイトルと受賞歴です。
横浜高校にはスカウトではなく一般入試で入学
千葉県出身の近藤健介選手、「関東で一番強い高校で野球をやりたい」との思いから神奈川の名門、横浜高校に進学しました。
今ではNPBを代表する打者の一人である近藤選手ですが横浜高校の方からスカウトされたわけではなく一般入試で入学しました。
当時同校でコーチを務めていた小倉清一郎さんは
と語っています。
その小倉さんは近藤選手について
と高く評しています。
高校時代、近藤選手は物怖じしない性格で、場を明るくする雰囲気を持ち合わせており、チームリーダーになりうる存在と評価されていたそうです。
実際に近藤選手は横浜高校在籍時には主将や副主将を経験しチームをまとめ上げました。
ちなみに横浜高校入学当時は寮に空き部屋が無かったらしく、近藤選手は母親に千葉の自宅から車で毎日送り迎えをしてもらっていたそうです。