2022年にはノーヒットノーランを達成し、2023年のWBCでは侍ジャパンのエース左腕として活躍した横浜DeNAベイスターズに所属する今永昇太投手の家族について取り上げます。
今永投手のお父さん、お母さん、お兄さんが揃って教員のお仕事をされていたり、お姉さんは大手企業に勤めていることなど紹介します。
そのほか今永投手のプロフィール、野球歴なども合わせて紹介します。
それではさっそく本題に入っていきましょう。
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- 今永昇太の父は45歳で校長になった
- 今永昇太の母は中学の音楽教師だった
- 今永昇太の兄は現役の小学生教師
- 今永昇太の姉は三菱電機系の企業に勤務
- 今永昇太はソフトボールから始めた
今永昇太の家族構成と実家
今永昇太投手の実家は福岡県北九州市八幡西区にあります。
北九州市は福岡県の北部、九州最北端に位置し、関門海峡を隔てて本州に面している市です。
1963年(昭和38年)に北九州工業地帯の中核であった門司市・小倉市・小畑市・八幡市・若松市の5市が合併して誕生した政令指定都市でもあります。
次に今永投手の家族について紹介していきます。
まず家族構成ですが父親の孝司(こうじ)さん、母親の京子さん、5歳年上のお兄さん、4歳年上のお姉さん、そして昇太投手の5人家族です。
母親・・・京子さん
長男・・・名前不明
長女・・・名前不明
★次男・・・昇太投手
父・孝司さんは保健体育の教師で45歳で校長に
今永投手の父・孝司さんは国立の広島大学を卒業された後、福岡県の公立中学校の保健体育の教師をされていたそうです。
また競技の経験は無かったもののバスケットボール部の顧問を長年されていたといいます。
孝司さんは45歳の若さで校長を務めるようになり北九州市内を転々としながら教員生活を過ごします。
定年退職後は北九州市教育委員会の嘱託職員になり、小・中学校で教師のサポートをされていたそうです。
残念ながら孝司さんは今永投手が28歳の時の2022年6月20日に71歳で亡くなったと球団から発表がありました。
余談ですが孝司さんは58歳で大型バイクの免許を取得して中古の300万円のハーレーを購入し乗り回していたというエピソードがありました。
かなりイケイケな校長先生だったのかもしれませんね。
母・京子さんは中学校の音楽教師をしていた
今永投手の母・京子さんは中学校の音楽教師をされていました。
両親揃って教員をされていたとは驚きですね。
京子さんは大分県内の芸術大学で声楽を学び卒業後に教師になられたようです。
また京子さんは学生時代、バレーボールの選手をしていたそうで今永選手の運動能力はお母さま譲りかもしれませんね。
兄は小学校で現役教師で今永昇太が野球を始めたきっかけ
実は両親だけでなく今永投手のお兄さんも教員です。
現在、小学校で教師をされているそうです。
お兄さんは今永投手が野球を始めるきっかけを作った人物でもあります。
小学校5年生の時にソフトボールクラブに入ったそうなのですが、兄の練習のお手伝いに母が行くのに今永投手も付き添ってグランドへ行くうちに当時幼稚園の年長でしたが特別に参加させてもらっていたそうです。
兄がソフトボールではなく野球をしていたら今永投手はストレートに野球から始めていたと思いますが、その場合今のようにプロで大成されたのか気になる所ですね。
姉は三菱電機系の企業に勤務
両親も兄も教員ならばお姉さんもそうなのかと思いますが、実際は教師ではなく三菱電機系の企業にお勤めなんだそうです。
三菱電機といえば大手企業ですので教員(公務員)と同じように堅実な道に進まれたようです。
ちなみにお姉さんは現在熊本在住で熊本地震の際は避難生活を送るなど影響を受けたそうです。
今永昇太のプロフィールと野球歴
【アメリカでも期待大】
侍ジャパン・今永昇太、自己最速タイ154キロ 最高回転数2625、メジャーの最高値を上回る伸び/WBC – サンスポ https://t.co/Jv7oOOprPm @SANSPOCOMより pic.twitter.com/w5xUYlbxhr
— ベイスターズ情報@サンスポ (@sanspo_baystars) March 17, 2023
愛称:投げる哲学者
年齢:29歳
生年月日:1993年9月1日
出身:福岡県北九州市八幡西区
身長/体重:体重178cm86kg
高校:福岡県立北筑高校
大学:駒澤大学
ポジション:投手
投打:左投左打
プロ入り:2015年(ドラフト1位)
背番号:21
所属チーム:横浜DeNAベイスターズ
今永昇太投手は永犬丸西(えいのまるにし)小学校時代に野球ではなくソフトボールを始めました。
続く永犬丸中学校時代は学校の軟式野球部に所属します。
中学では体が小さく投手として目立った成績を残せなかった為、強豪校からのスカウトもなく高校は自宅近くの公立の福岡県立北筑(ほくちく)高校に進学します。
1年生の秋から対外試合に登板するようになりますが、在学中は春夏通じて甲子園出場は叶いませんでした。
なお在学時の最高成績は3年生の夏の県大会4回戦でした。
今永投手はこの県大会4回戦で戦った小倉高校相手に先発し最速144キロのストレートを武器に好投&完投しましたが1対2で惜敗しました。
ドラフト前に中日ドラゴンズから「下位になるけど、指名させて欲しい」旨を伝えられたこともあったそうですが、プロ志望届は提出せずに東都大学リーグの名門、駒澤大学への進学を決めました。
1年生の春季リーグから公式戦に登板するようになり2年生の春季リーグからエースの座に就きます。
3年生の春はリーグ戦で3試合連続完封勝利を記録し、秋はリーグ戦でMVP、最優秀投手、ベストナインの3冠を獲得するとともにチーム26季振りの優勝に大きく貢献しました。
4年生になると一転、左肩を痛めて春季リーグでは登板なし、秋季リーグでは復帰を果たすも調子が上がらずチームも2部に降格してしまいました。
大学時のリーグでの通算成績は46登板、18勝16敗、防御率2.03、281奪三振というものでした。
今永投手は大学時代、「大学ナンバーワンの左腕投手」と評価を受けていましたが、4年時に怪我もあり不調だった為、進路について真剣に悩みプロ志望届を提出したのは、締切の2日前だったといいます。
2015年10月22日に行われたドラフト会議において今永投手は横浜DeNAベイスターズから1巡目で単独指名され、契約金1億円、年俸1500万円という条件で入団となりました。
指名順位:1位(横浜DeNAベイスターズ)
契約金:1億円
年俸:1500万円
プロ1年目となる2016年、3月29日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)で公式戦&先発デビューを果たします。
同年5月6日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でプロ初勝利を上げました。
最終的にこの年は22試合の登板で8勝9敗、防御率2.93とルーキーとしては十分な成績を残しました。
その後、2017と2019年と2022年は二桁勝利を果たすなどチームのエースに成長。
2022年6月7日の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では史上85人目となるノーヒットノーランを達成しました。
プロでの主な獲得タイトルと受賞歴です。